中丸雄一の新たな冒険 Vol.2 中丸雄一のマンガ家デビュー、その舞台裏を編集者が語る

中丸雄一

39歳でマンガ家デビューを勝ち取った男、中丸雄一。月刊アフタヌーン(講談社)での短期集中連載を経て、デビュー作「山田君のざわめく時間」の単行本が2024年1月23日に発売される。中丸の人知れぬ努力と執念が夢を引き寄せたと同時に、背景には編集者たちの奮闘があった。今回コミックナタリーでは、担当編集の助宗佑美氏と、掲載誌である月刊アフタヌーンの編集長・金井暁氏にインタビュー。マンガ家・中丸雄一が誕生するまでの舞台裏を振り返ってもらった。まるで編集者たちから中丸に宛てたラブレター、ここに詳報したい。

取材・文 / 片平芙蓉 撮影(中丸雄一) / 曽我美芽 スタイリスト(中丸雄一) / 河原歩 メイク(中丸雄一) / 豊福浩一・KOICHI TOYOFUKU

中丸の希望で“巨大な壁” アフタヌーンに挑む

幼い頃からマンガ家になることを夢見ていた中丸雄一は、芸能活動の傍らイラストを描いたり4コママンガを制作したりと、経験値を積み上げてきた。そんな中、ドラマ出演の縁で知り合ったマンガ家・東村アキコの導きで、東村の担当編集である助宗氏に知己を得た中丸は、足かけ3年、助宗氏と二人三脚で作品を構想・制作。今年6月に月刊アフタヌーン8月号に掲載された「山田君のざわめく時間」で、念願のマンガ家デビューを果たす。

そもそも、なぜアフタヌーンだったのか──。

月刊アフタヌーンは、1986年に創刊されたマンガ誌で、「ああっ女神さまっ」(藤島康介)「寄生獣」(岩明均)、「無限の住人」(沙村広明)、「宝石の国」(市川春子)、「ブルーピリオド」(山口つばさ)といった人々の胸を打つ名作を輩出してきた。業界でもファンの多いこの老舗雑誌、39歳の新人マンガ家が突如挑むには高すぎる壁のように感じる。だがそこには、ほかならぬ中丸自身の希望が反映されていた。助宗氏が「挑んでみたい雑誌はある?」と聞いたところ、返ってきたのが「アフタヌーン」という答えだった。

「一番いろんな作品が載っている雑誌だし、憧れもあるからやってみたい、と。それを聞いて、ハードルが高いなと思ったのですが、どうせなら高いところに挑んでみようと思って。そこで初めて、大先輩である編集長の金井さんに相談しました」(助宗氏)

金井氏には、毎月行われているアフタヌーンのコンペ(連載会議)に挑むように勧められた。そのために用意したのは、中丸の本気度を示す大量のネーム。

「緊張しましたね。会議で落選するかもしれないのに、中丸さんが出演している『シューイチ!』のカメラも入っていて、どうなっちゃうんだろうと。それでなくとも連載会議はドキドキするのに、その3倍くらいいろんなものを背負って出席しました」(助宗氏)

金井氏が「助宗さんって緊張するの?」と突っ込むほど、社内でも有数の強メンタルと噂される助宗氏。そんな彼女がガチガチになるほど、アフタヌーンというブランドは強大だった。

「私と中丸さんからすれば3年くらいかけて一緒にがんばって作ってきたという認識だけど、アフタヌーンには、既存の読者からの期待や愛着など、歴史的に積み重ねてきたものがある。私たちがレベルの低い作品で挑戦してしまうと、アフタヌーンが築き上げてきたものを壊してしまうかもしれない。言ってしまえば、『なんで芸能人のマンガ載せてんだ』と読者から思われてしまうことが、アフタヌーンにとってはネックだろうなと。だから緊張すると同時に、コンペにかけて編集部がダメだと判断するなら、正直に言ってもらうほうがいい、とも思っていました」(助宗氏)

アフタヌーンのファンに誠実でありたい。当初、編集長である金井氏も助宗氏と同じ懸念を抱いていた。

「助宗さんが言うように、一番の危惧は『芸能人枠だから通ったんだろう』と言われてしまうことでした。読者からの信頼はもちろん、アフタヌーンに連載したくてもなかなかできないマンガ家さんもおられるわけです。その人たちに対して、公明正大に同じプロセスを経て審査をし、話し合って決めるという過程は飛ばしたくなかったし、編集部員に見てもらえれば、納得してもらえるのではと思いました」(金井氏)

入念な準備の結果、見事アフタヌーン編集部の支持を得ることができ、連載への道が開けたのだ。

芸能人の担当編集になるということ

中丸にとって未知の世界であるマンガ業界の先導者であり、理解者でもある助宗氏は中丸と同世代。2006年に新卒で講談社に入社し、Kiss編集部で東村アキコ「東京タラレバ娘」や石田拓実「カカフカカ」など、数々のヒット作を手がけた名物編集だ。現在は講談社クリエイターズラボのIP開発ラボのリーダーを務め、雑誌や本という枠を飛び超えて物語と関わる仕事をしている。詳しくは氏の人となりと仕事を詳しく掘り下げた「マンガ編集者の原点 Vol.4」を参照してほしい。そんな経験豊富な助宗氏だが、「芸能人の担当編集」は初体験だった。

「中丸さんにお会いしたとき、初めは『おお、KAT-TUNだ!』って思いました(笑)。同世代であり、東京ドームでコンサートする人気のアイドル、というイメージで。芸能人だし、当時(2020年)はコロナ禍だったし、ほかのマンガ家さんみたいに気軽に喫茶店で打ち合わせをして距離をつめる、みたいなプロセスは踏めなかったのですが、事務所さんの協力もあり、マンガ家と編集者として対話をして、作品の方向性を探る機会を作ることはできました」(助宗氏)

その際、中丸が語った話がとても印象的だったという。助宗氏が投げかけたのは、「中丸さん、小さい頃はどんな子どもだったんですか?」という何気ない質問。

「子供の頃、レッスンの後みんなで電車で帰った話をしてくれたんです。家の方向が同じ仲間との帰り道の想い出話が鮮明で、『こういうことがあった』、『彼がこう言ったときに、僕はこう思った』と、“主人公・中丸雄一くん”の視線で、自分が感じたことを語ってくれたんです。

たぶんご本人は私に話したことも忘れているような、一見なんでもないような話。だけど聞いていると、帰りの電車の中はきっとこんな雰囲気だったんだろうなと、情景が見えるように感じたんです。中丸雄一少年と、一緒にレッスンを受け、ともに帰宅している子たちの映像がバーッと見えた瞬間があった。そのときに、まだマンガにはできてないけれど、マンガ家的に“シーンを語る才能”みたいなものはあるのかも、と感じて。そこで『この人はマンガを描けるのかもしれない』って思いました。サポートしてみようと思ったんです」(助宗氏)

一言で言うと、ストーリーテリングの才能。自身が経験したことを、そこにいなかった誰かの興味を引きつけながら、面白く話せる能力。それを中丸から敏感に嗅ぎ取った助宗氏は、このプロジェクトを前に進めることができると確信した。

助宗氏の場合、マンガ家との打ち合わせでは、とにかくたくさん話す。プロットについて話したり、ときにはただ雑談したり。だが、コロナ禍という状況のうえ、ただでさえ仕事で多忙な生活を送る中丸。今回の作品ではそうした時間を多くとることはできなかった。

「そのかわりに、中丸さんはとにかく“物”――ネームをたくさんを出してくる。それに対して私が意見を言うと、今度はそれを反映したネームを出してくる。直接会う機会がどうしても少ない、時間もないというウィークポイントを、中丸さんは『ネームをとにかく送る』という方法で解消してくれたように感じました」(助宗氏)

ネームで会話をし、ネームを通じて距離は縮まった。参考になりそうなほかの作品を知らせると、前のめりで反応が返ってきた。

「私が『地球外少年少女』というアニメを観たときに、『これ好きそうですよ』って連絡したら、なんとその日のうちに全話観たみたいで、感想が届いたこともありました。中丸さんって、自分から会話にグイグイ入ってくるタイプではないけど、しっかりと好きな世界観があって、かつ集中力がある人だと感じました」(助宗氏)

芸能活動とマンガ制作。それらの本質的な“違い”も、やる気につながっているように感じた。

「芸能の仕事って、たくさんの人で作り上げる集団芸術のことが多いですよね。ドラマやバラエティでも、音楽活動でも。対してマンガって、究極的には1人で動けるじゃないですか。中丸さんがネームを描いて送って、担当編集が早くレスポンスすれば、30分後に自分の判断で修正して送り返す……みたいに、次々と作り続けることができる。こういうダイナミックな変更ってマンガ制作ならではの醍醐味です。

少人数で濃密かつスピーディーに物を作れることが中丸さんの創作の楽しさに繋がっている気がしたのでそれが損なわれないように、とにかく返信を早くしようと心がけていました」(助宗氏)

金井編集長が見た風景/アドバイス

一方、アフタヌーン編集長である金井氏が連載にあたり気になったのは「中丸の存在感」であった。

「最初に、取捨選択してない大量のネームを見せてもらいました。読んでみて、本当はもっと中丸さん自身のキャラを出したいのだろうなという部分と、そこから遠ざけたいのだろうと感じる部分が、少しちぐはぐで中途半端だという印象があって。助宗さんを通じて言ったのは、中丸さん自身から遠ざけるとコントの台本みたいになっちゃうので、中丸さん自身の感覚をもう少し増やして、半分くらいは入れてくれるとありがたい、ということでした」(金井氏)

中丸雄一という、すでにキャラが立ちすぎている人物が描く以上、その強みを作品に最大限に生かすために、求められるのはフィクションであり、ノンフィクションでもあり……。微妙なさじ加減が必要だった。

「とはいえ、中丸さん本人を主人公に据えた話をしようとすると、逆に本人がいなくなっちゃって、本人の“まわり”に脚光を当てた話になると思うんです。例えば、初期の段階のネームにあったのですが、“亀梨くんが乗っている車”について語る、というようなエピソード。だけど、中丸さんが描くのであれば、読む人が一番見たいのは“周囲”ではなく、『中丸さんって、本当はこういう人かもしれない』と感じる内容じゃないかと。それが結果的に、『山田君のざわめく時間』では、読者の想像の余地も含めていい具合に出たのではと思います」(金井氏)

実は、作品が現在の「山田君のざわめく時間」という形に落ち着くまでに、紆余曲折があった。最初中丸が出してきた案は、KAT-TUNとしての活動を含めた自身の日常を記録するエッセイマンガだった。助宗氏が当時のやりとりを振り返る。

「エッセイマンガの案がボツになった後、事務所さんや私から『がんばってフィクションを描いたほうがいい』とアドバイスしていました。フィクションを描いても、作家性やその人らしさは自然とキャラクターや展開に混じっていく。中丸さんって、アドバイスを受けたり指針を決めると、そこに基づいて行動できる人なんですが、当時はその『フィクションを描く』という言葉に引っ張られすぎて、主人公の山田を自分から離そうとしていたことがあったんです。だけど、金井さんに指摘されたことで、『自分を入れながらフィクション化することが大事なんだ』と気づいて、そこからネームがいい方向に変わっていったのかなと思います」(助宗氏)

アイドルとしての中丸と、素の中丸、そしてマンガ創作者としての中丸。その3つのせめぎあいが「山田君のざわめく時間」で手を取り合い、結実しているのかもしれない。

「中丸さんって基本的に、いろんな場における役割がわかっているので、例えば、マンガ家として初めて編集部に来たときは、場に馴染みすぎていて、通りかかった人が中丸さんだと気づかないくらいだった。だけど、コンサートやテレビでみるともちろん別の顔。すべてご本人ではあるけれど、場面場面で誠実に役割を果たせる人。だからこそ、『実は見せたかった自分の内面』を思いっきりマンガで描くと面白くなるのでは?と、とご本人に話しました」(助宗氏)

象徴的なのが、第1話をめぐるやりとりだ。第1話では、山田君が「マッサージでお尻を揉んでもらうにはなんて頼むのが正解?」と煩悶する様子が描かれているが、当初、中丸はこのネタにあまり自信がなかったという。

「私は逆で、このネタが一番面白いと思っていた。それを伝えたときに、『これが編集者にとっては一番面白いのか!』という驚きがあったと思うんです。『自分では一見どうでもいいと思っている、だけどなぜか引っかかっているようなことを、この作品なら出せるのかもしれない』と強く思ってくれたように思います」(助宗氏)

編集長の前では、「猫背の小さい男の子」

さらに助宗氏は、アフタヌーン編集部に赴いた中丸が、金井氏に初めて会ったときの様子が忘れられないという。

「編集長の前でものすごく緊張していて、猫背の小さい男の子になってました(笑)。編集部のみんなは『あ、KAT-TUNの人が来た!』と静かに沸き立っている感じだったけど、中丸さんとしては、マンガ家として挑んでいるアフタヌーンの編集長に挨拶に行くという意識だったから、すごく硬くなっていて。本気でマンガ界に挑んでいるんだなと思いました。いつもより、全然しゃべらなかったですね(笑)」(助宗氏)

金井氏曰く、その現場を目撃したアフタヌーン編集部員が、「何か深刻な事態が生じたのでは!?」と感じるほどの緊迫したムードが流れていたという。中丸の真剣さが感じられるエピソードだが、金井氏はその様子から、作品の成功を確信できたという。

「もちろんネームや作品内容を見て、さらに編集部全員の意見を聞いて『これはいけるぞ』と思ったんですが、そのうえで本人と会ってみて、彼の『緊張で一言もしゃべれない新人マンガ家』っぷりに納得させられました。当初は、片手間みたいな軽い感じだと困る、という思いはあったんですが、本当に真剣に取り組んでくれているんだなとわかった。『みんなが知ってる芸能人が、緊張してしゃべれなくなっている』その様子からは、本気度が伝わりましたね。そのとき、この連載はなんとかなるんじゃないかなと思いました」(金井氏)

海千山千の芸能人がこんなにも固くなってしまうという事態が、中丸の本気を証明していた。助宗氏は、そのときにある話をしたという。

「『原稿が遅れて印刷所への入稿が遅くなって、中丸さんのためにみんなを待たせるのは、新人としてありえない。新人さんは原稿を早く入れるのが普通なんだよ』と話しました。すると『原稿は絶対に早く上げる』『編集部の入稿がスタートする日には必ず原稿をそろえておく』と中丸さんから返答がありました。実際に連載が始まると、中丸さんは約束を守ってそのペースで上げていきました。コンペのとき、『アイドルだから片手間と思われたくない。自分は真剣にやってるんだ!』いう決意を、ネームの量で示したという話をしましたが、時間の面でもその決意を見せてくれました」(助宗氏)

行為と態度で本気を見せる。それが中丸雄一という人間のプロフェッショナルなのだろう。他業界で磨き上げてきたプロ意識の発露を、金井氏も感じていた。

「中丸さんは20年以上、芸能界の第一線でやってきた一流のプロなんだと強く感じました。もちろん、マンガの面でアドバイスの取り入れ方や修正の仕方がうまいというのもある。かつそれ以上に、ご自身でマンガを描いて、アフタヌーンに載っけて、それが書店に並んで、その向こう側には膨大な数の人がいて……という景色がちゃんと見えていると感じたんです。新人マンガ家でありながら別業界でプロとして一線でやってきたアドバンテージがしっかりあるなと思いました」(金井氏)

加えて金井氏は、中丸の強みを「サービス精神」だと因数分解する。

「同じくらい絵の才能があって、同じくらいのドラマ作りの才能があるのに、最終的にマンガ家になれる人となれない人がいるとしたら、その違いはサービス精神なんですよ。描く力が同じくらいでも、読んだ人を喜ばせたいという気持ちに差があると、それは大きな差になるんです。中丸さんの描いてくるものってサービス精神に溢れているなと思います。アンケートを見ていると、それがいろんなところで読者にも伝わっているなと感じました」(金井氏)

芸能界で培った鋼の精神力

「新人マンガ家」らしからぬ中丸。そうした点はメンタルの強さでも振るっていると、助宗は語る。

「おそらくSNSでの反応もすごくチェックしているんだと思います。特に新人さんだと怖くてとても全部の反応は見られない人もいるけど、中丸さんはアイドルとしてメンタルの保ち方がわかっているというか──どうしたってよい意見も悪い意見もあるものだし、そもそも叩かれるかもしれないけど俺はやるんだ!という信念がある。読者の反応を見て、傷つくことなく次に生かせるのはすごいなと思っていました。

自分らしさを保ちながらメンタルをコントロールできるところが、長年プロとしてアイドルをやってきた人が身につけた能力。中丸さんはそこを強みとして生かしながら、どんどん成長してほしい。辛辣な感想を見て『傷ついていない』と強がるのではなくて、『傷ついてもこういう形でコントロールできます』という俯瞰力を生かして経験値にできれば、成長のスピードもさらに上がると思います」(助宗氏)

メンタルの強さは、多くのマンガ家と歩みを共にしてきた金井氏も太鼓判を押すところだ。

「マンガの世界では、連載枠やアンケートの結果など、常に競争がある。そうした競争にさらされますよという話をしたとき、『ずっとアイドルという競争社会でやってきているので、そこは大丈夫です!』って(笑)。中丸さん、さすがだなと思いました」(金井氏)

そして、マンガ関係者からの賛辞は、中丸にとって格別のご褒美のようだ。

「あるマンガ家さんがX(Twitter)で『山田君』を褒めていて、中丸さんに伝えたらすごく喜んでいましたね。ほかにも、校了のときに編集部の人がコメントしていたのを伝えたり、金井さんに一緒に会った日の帰り道に、『金井さんがさっき、ああ言ってましたね』って反芻していたり。中丸さんの中では『マンガ業界に参入して、果たして受け入れられるのか?』という意識があったので、やっぱりマンガ関係者から評価されたりコメントされるのは励みになっていると思います」(助宗氏)

アフタヌーンという雑誌/本当は、マンガはこんなに必要ない

現在アフタヌーンの誌面を彩る連載作品は、「青野くんに触りたいから死にたい」(椎名うみ)、「乾と巽―ザバイカル戦記―」(安彦良和)、「ヴィンランド・サガ」(幸村誠)、「おおきく振りかぶって」(ひぐちアサ)、「スキップとローファー」(高松美咲)、「ダーウィン事変」(うめざわしゅん)、「天国大魔境」(石黒正数)、「波よ聞いてくれ」(沙村広明)、「ブルーピリオド」(山口つばさ)、「宝石の国」(市川春子)、「来世は他人がいい」(小西明日翔)など。筆者独自の判断で主要作品を挙げてみたが、本当はまだまだ挙げたい。傑作の宝庫である。こんなラインナップに、「山田君のざわめく時間」が名を連ねた。

金井氏は、2015年からアフタヌーンの編集長を務めており、雑誌創刊から6代目の編集長となる。講談社に入社したのは1994年、モーニング編集部を経て、現在に至る。幸村誠「ヴィンランド・サガ」の初代担当編集であり、ほか、主に担当した作品は「亜人」「フラジャイル」など。そんな金井氏が統べるアフタヌーン編集部は、普段どんなことを意識して投稿作品や新人作家を選んでいるのだろうか。そう問うたところ、「レギュレーションはない」という答えが返ってきた。

「面白ければなんでもいい、ということになっちゃうんですよね。ジャンルも対象年齢にもこだわらないし、描き手の年齢も20代前半から70代までいらっしゃる。作者のバックボーンも何も問わないで、ただただ『作品が面白かったら載せます』。そういうつもりでいる雑誌だと思っています」(金井氏)

現在アフタヌーンで最年長の作家は、「乾と巽―ザバイカル戦記―」を連載中の安彦良和で、1947年生まれの76歳。金井氏の言う通り、誌面は作風も執筆陣もバラエティに富んでいる。そのうえで、金井氏がとある場面で語った言葉が、氏が思う「面白さ」のヒントであり、アフタヌーンという雑誌、引いては物語のもつ普遍性を象徴しているように感じたので紹介したい。曰く、「読み切りを描くコツのひとつ」は、登場人物の「人生で最大の転機を描くこと」。

「大きな決断をして転機を得た、でもいいですし、思いもかけない事態に直面してその瞬間を境に生き方が変わった、でもいいです。数十ページの読み切りを読む醍醐味は、1ページ目とラストのページでどれだけの変化が訪れたか、その様を目撃できる点にあります」(2023年12月号掲載の「アフタヌーン四季賞 秋のコンテスト」講評より)。

「人生最大の転機」。思い返してみると、心に残る作品はいつだって、ただの「事件」にとどまらない、登場人物の人生が変わる前後の瞬間、その一点を巡る人々の心の動きや、関係性の変化を切り取っていた。読み切りのコツがそうだとすると、連載作品を描くコツはあるのだろうか?

「連載でもあまり変わらないと思っていて、あるキャラクターが人生最大の決断をする前後を描いたら、20巻になっていた──そういうことじゃないかと思います」(金井氏)。さらに「あんまり原稿にしてほしくない部分でもあるけど……」と前置きしつつも金井氏が教えてくれたのは、マンガ業界の中心に長年身を置き続けてきた編集長ならではの、ズシリと手応えのある言葉だった。

「基本的には、世の中にこんなにマンガはいらないだろう、と僕は思っているんです。どう考えても過剰供給。ほかの人がもう描いていたり、あるいはほかの人でも描けるであろう内容のマンガなら別に要らない。だけど『これは出さなきゃいけない。絶対に読んでもらったほうがいい』と思えるような、面白いマンガがある。この人じゃないと描けないし、今でなければ物語として成立できないと思えるような作品を拾い上げて、世の中に出していけたらと思っています」(金井氏)

アフタヌーンで起こる、出会いの連鎖

そんなアフタヌーンという雑誌に「山田君」を掲載できたことの喜びを、助宗氏はこんなふうに語ってくれた。

「中丸さんがデビューした号(2023年8月号)に、『君と宇宙を歩くために』(泥ノ田犬彦)の1話が載っていたんですが、私はその作品がすごく好きなんです。『山田君』とは全然違う話なんだけど、マンガ家としてまだ若いフレッシュな2人が、同じ号で全然違う作品を描き、2作とも別の意味で話題になっていた。

そんな様子を見て、アフタヌーンって強い雑誌だなとつくづく思いました。中丸さん目当てで買ってくれた人が『中丸くんの作品も面白かったし、一緒に載ってた『君と宇宙を歩くために』、めちゃくちゃよかった!』と言ってくれてもいて、うれしかったです」(助宗氏)

「君と宇宙を歩くために」は、勉強もできない、バイトも続かないヤンキー高校生の小林と、クラスに転校してきた変わり者・宇野との出会いから始まる話。正反対ながら、ふたりともみんなが普通にできるようなことができない、という悩みをきっかけに、不思議な絆が育まれていくストーリーだ。「普通にできない」ことが引き起こす葛藤と乗り越えるための奮闘、一見真逆のふたりが紡ぐ友情への、これまでにない光の当て方が、大きな話題を呼んだ。

泥ノ田はアフタヌーン四季賞2022年秋のコンテストで準入選した新人で、「君と宇宙を歩くために」はアフタヌーン発のWeb雑誌&Sofaで連載中だ。助宗は中丸に、「この号には同じ若手の人が載ってるけど、マンガ家としてはライバルですよ!」と伝えているという。

「『いい作品だから読んだほうがいいですよ』って言うと、『もちろん! 僕、アフタヌーン読んでますから!』って言われたりして(笑)。あと、『ブルーピリオド』が『山田君』の前後に載っていたときには、『ブルーピリオドの横か……!』と、おののいていました(笑)」(助宗氏)

バックグラウンドも作風もまったく違う作家がアフタヌーン誌上で出会ったり、アフタヌーンを普段読まない人がある作品を目当てにして雑誌を手に取り、まったく別の作品に心を動かされて、宇宙が広がっていく──アフタヌーンでは今日も、出会いの連鎖が起こっている。

サービス精神がものを言う

助宗氏は、中丸にはまだまだマンガ家として伸びしろがあると踏んでいる。

「『山田君』をアフタヌーンで連載できて、単行本化も決まってご本人も喜んでいますが、今後、彼はさらに楽しい作品を描くことができると思っています。描き始めて最初の頃は、中丸さんが思いついたネタや発見を描くところから始まりましたが、そのときはまだ、彼がもともと持ってるサービス精神が十分には生かされてなかったと思う。

だけど3年間一緒にマンガを作っていく中で、ほかのマンガもいっぱい読んだりして、何か掴みかけていると思うんです。ここから、ストーリーやキャラ、テーマすべてにおいて、今みんながどんなものを読みたくて、それと自分の描くものとをどう合致できるのか──そこに意識して取り組むことで、もともと持っていた素質がさらに開花するのではと見ています」(助宗氏)

中丸の冒険と、伴走する編集者である助宗氏。2人は、刀と刀鍛冶のような関係だ。金属を熱して徹底的に叩いて鍛えると、刀はどんどん強くなる。

「もともとの刀(=中丸)も相当硬いですけどね(笑)。いつも、この刀、強おー!!と思いながらやっています。今後、もともと中丸さんファンじゃない人のことも考えながら、『マンガを読むって、どういう楽しさなのか?』ということまで見据えて、サービス精神を広げられるといいかもしれない。『ふー、単行本まで出たぜ!』と思ってる今こそ、マンガを100個ぐらい読んだほうがいいと思っています(笑)。視点が変わって、『こういう楽しませ方があるんだ』『知らなかったけど、自分はこのマンガが好きだ』と気づけると、作り手として視野が広がるはず!」(助宗氏)

東村プロにアシスタントに行っていた!

中丸がマンガ家デビューするにあたり、マンガ家にも影の立役者がいたのを忘れてはならない。東村アキコだ。2012年の東村原作のドラマ「主に泣いてます」(フジテレビ系)にメインキャストとして中丸が出演したことから、交流がスタート。助宗氏と中丸の縁も、助宗氏が東村の担当編集であったことから始まった。完成した「山田君」を読んだ東村の第一声は、「思ったよりうまくなったな」だったという。中丸は東村からさまざまなアドバイスを与えられた。のみならず、中丸がアシスタントとして東村プロに赴いたこともあったという。

「まだ私と中丸さんが出会う前のことですが、1人でアシスタントに行ったみたいです。そのときも、アフタヌーン編集部に来たときと同じようにほかのアシさんに紛れていたみたいで(笑)。中丸さんが帰った後に『そういえば、KAT-TUNだったな……』『そういえばカッコよかったよね』とみんなが話していたという話を聞きました。すごい行動力がありますよね。東村さんの現場に行ってベタ塗ったりとか……アイドルなのに、ありえないですよね」(助宗氏)

東村プロのアシスタントにまぎれるアイドル・中丸雄一。底知れない行動力だ。

「新しい技術を獲得するのがお好きな方なんだと思います。アフタヌーンに最初に載ったときにも、自分の作品の誌面を見て、『これ線太っ! やばっ』って言っていて。それで2話目からは線を細くしたんです。それで2話目が載ったときには、もう1話目が未熟に感じるっておっしゃってました。そのときは全力でやったけど、今思うとちょっと気になるって。まさに、成長してる人のセリフですよね」(助宗氏)

「山田君」最終回では「ぶち壊す」!

中丸の冒険と修行の日々は続く。最後に、金井氏があらためて「山田君のざわめく時間」の魅力を分析してくれた。

「マンガに限らず、ストーリーエンタメの面白さって、まずピンチがちゃんとあることだと思うんです。命の危機だけじゃなくて、無理めな異性を好きになるのもピンチ。それにどう立ち向かうかが、ストーリーエンタメの1つの面白さだと思う。で、中丸さん、言い換えれば主人公の山田雄一(おいち)君にはいっぱいピンチがある。そのピンチに対して、頓珍漢かもしれないけど立ち向かう様子を、毎回とても真摯に、さらけ出して描いているのが面白みだと思うんですよね。アイドルのピンチってこういうことかというのも含めて、とても楽しく読ませてもらっています」(金井氏)

最終回(2024年1月号)では、これまでとは一味もふた味も違った世界観が展開、筆者の予想はいい意味で裏切られた。助宗氏が締めくくる。

「マンガで自分がやりたいことをなんとか形にしてみようという、中丸さんの気概が見える最終回になりました。中丸さんの『ロマンを描きたい』という欲が強く出ていて、これまでのように頻繁に『ざわめいて』もいないし、今まで『山田君』で描いてきた『こういう感じに作ればいいはず』というのを、最後にぶち壊してきましたね(笑)」(助宗氏)

半年にわたる短期集中連載はフィナーレを迎え、単行本は大量の描き下ろしを引っ提げて完成間近。中丸雄一の大冒険、最後まで見届けたい。