中丸雄一の新たな冒険 Vol.1 40歳の新人マンガ家・中丸雄一

中丸雄一

幼い頃に夢見ていた「マンガ家になる」という願いを、39歳で叶えた男がいる。KAT-TUNの中丸雄一だ。デビュー作の第1回が掲載された月刊アフタヌーン8月号は、雑誌として20数年ぶりに重版がかかった。

そんな中丸作の「山田君のざわめく時間」は、主人公・山田雄一(やまだおいち)が、ささいなことに「ざわめいて」しまう日常を描いた、ちょっとシュールなユーモアあふれるコメディ作品。目まぐるしい芸能活動の傍ら、どのようにして作品は作られたのか。マンガという異なるフィールドで夢への布石を積み上げた中丸の冒険を紐解く。

取材・文 / 片平芙蓉 撮影 / 曽我美芽 スタイリスト / 河原歩 メイク / 豊福浩一・KOICHI TOYOFUKU

夢を後押しした「テクノロジーの進化」

少年時代に「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」(ともに鳥山明)、「カメレオン」(加瀬あつし)や「行け!稲中卓球部」(古谷実)などを愛読し、マンガ家を志すも、そのハードルの高さに一度は夢を諦めた中丸。その後、22歳でKAT-TUNとしてデビューし、40歳を目前に幼い頃の夢に向かうことを決心させたのは、マンガを取り巻く制作環境の進化が大きかったという。

「僕が中学生の頃は、マンガ家になるにはアナログで描くしかなかった。デジタルで描ける今と比べると、ものすごく手間がかかる。だから、覚悟や強いメンタルがないと、目指すのがかなり難しい職業だったと感じています。

だけど今はマンガソフトを使って、タブレットでも描くことができる。僕はCLIP STUDIOというソフトを使っていますが、アナログに比べたら、ものすごく制作の間口が広がったと思います。本気を出してがんばったら、作品として形になるステージがある。今回またがんばろうと思えたのも、そこが一番大きかったですね」

マンガの制作環境を「持ち歩ける」こと。今やタブレットさえあれば、音楽番組の楽屋も、移動中の車内も、彼にとってはマンガスタジオだ。

「いろんなことが重なってマンガ家デビューという今に至ったわけですが、それでも僕の根底にあるものは“中学生のときに一度その気になったこと”なんです。なので、当時の自分に声をかけられるとすれば、『その気になれば、20年後アフタヌーンに載るぞ』と言いたいですね。その頃に一度本気で目指していなければ、時を経た今も、叶えられていなかった。がんばれって言いたいです」

見える景色が一変。マンガは「全部参考書」に

憧れが現実へ。実際にマンガ業界に参入した中丸にとって、見える景色はどう変わったのだろうか。

「マンガの見方が180度変わりましたね。今までは完全に娯楽として楽しむだけだったんですが、今や全部参考書、みたいな。ページにどれだけ作者が時間をかけたかが、身をもってわかるようになりました」

中丸がマンガ家デビューした月刊アフタヌーンは1986年に創刊され、初期の看板作「ああっ女神さまっ」(藤島康介)から始まり、「寄生獣」(岩明均)、「無限の住人」(沙村広明)、「おおきく振りかぶって」(ひぐちアサ)、「ヴィンランド・サガ」(幸村誠)、「宝石の国」(市川春子)など、社会を揺るがすような大ヒット作を多数輩出している。年4回開催される新人賞である「四季賞」は、綺羅星のごとき才能の登竜門だ。いつも「面白さ」の数歩先の奥行きと挑戦性を感じさせる、マンガ好きからこよなく愛される老舗雑誌である。

「アフタヌーンに自分の作品が掲載されたことは、それはそれは感慨深かったですね。反面、マンガ単体ではなく、タレント活動を加味して評価してもらっている部分があることは自覚しているので、そこはほかの作家さんと同じだとは思ってないです。けれど、光栄なことであり、貴重な経験値として噛み締めています」

なお、アフタヌーンで好きな作品は、「ダーウィン事変」(うめざわしゅん)。半分ヒトで半分チンパンジーという“ヒューマンジー”チャーリーの存在をめぐり巻き起こる事件を通して、生命、倫理、愛の根幹を問う超大作だ。

「アフタヌーンはどの作品もすごくて、憧れを言葉にすればキリがないのですが、1つ挙げるとしたらこの作品ですね。最初、『ダーウィン事変』が表紙になっている号を見たとき、勝手にギャグマンガだと思ったんです。一見、サルのビジュアルで。で、実際に読んでみたらめちゃめちゃ社会派の作品で、びっくりして!

ものすごく面白いのはもちろんのこと、作者の方が主張したいことが明確だったので、『マンガって、こんなことまでできるんだな』と改めて感じた作品でした。もちろん、僕とは作風が全然違うので『こういう作品が描きたい』という思いとは違うのですが、『マンガを通して自分の考えを表現するってこういうことなんだ!』という、マンガの根本を強く感じました」

舞台で培い、マンガでも鍛えられたのは「完成力」

「山田君のざわめく時間」は、主人公・山田雄一の視点で語られる、日常のささいなとっかかりを掘り下げたショートコメディだ。「マッサージでお尻を揉んでもらうにはなんて言うのがベスト?」「誰だったか思い出せない人への対応はどうすれば?」など、普通の暮らしの中で起こる“ささくれ”のような小さな事件にオロオロする心理を丁寧に映し出す。中丸のユーモアあふれる小市民的な持ち味や、クセ強めなものの見方がじわりと効いている。「山田くん」や「ごうわん君」「斎藤君」など、物語の中心となるキャラクターたちは、キャラ間のバランスを重視して構築したという。キャラ設定は、打ち合わせで担当編集から言われた「どんな音楽が好きとか、載せなくてもいいから考えよう」とのアドバイスを受けて深めていった。

中丸は今年、40歳。節目の年を前にして夢を叶えた形になるが、これまで歩んできた道のりがものを言った。ここ十数年、音楽活動を始め、俳優やタレントとして活動しながら、その傍らで着々とマンガ家への布石を積み上げていたのだ。大人になってイラスト制作を再開したきっかけは、2006年に「24時間テレビ29」でスタジオジブリとのTシャツデザインを手がけたことだった。その後、2012年から雑誌WiNK UP(ワニブックス)で、「中丸雄一の絵本作家への道」「中丸雄一のイラスト勉強会」を約9年間にわたり連載。2020年には公式SNSに4コママンガを発表していた。

「10年間くらいイラストの連載を続ける中で、『これをちゃんと形にしたほうがいいな』と思えるようになった。それに、続けてきたことによってベースができたというか、自分なりのテクニックは磨けたと思えたんです」

イラストの経験値に加え、2008年からシリーズ開催されている一人舞台「中丸君の楽しい時間」での経験も生きた。出演はもちろん、構成・演出からグッズ制作に至るまで、すべて中丸がセルフプロデュースで行う、まさに“中丸雄一”一色の舞台である。今回のマンガのタイトルが「山田くんのざわめく時間」であることからも、表現活動としての連続性がうかがえる。

「たまにやる一人舞台も、やっぱり無の状態から始まって、完成するまでの構成を考えるわけです。そこで、舞台を通して『完成させる』ための経験値も身についていた。……改めて考えてみると、冒頭で話した、テクノロジーが進化してタブレットで比較的簡単にマンガが制作できるようになったという『環境の力』と、自分が舞台で鍛えた『完成させる力』。今この2つの要因が重なって、『おや、これはもしかしたらマンガ業界にチャレンジできるかもしれない』と思うことができたんでしょうね」

まさに「機が熟した」とはこのことだろう。一方で、持ち前の「完成力」はマンガ制作をきっかけに、さらに磨かれたという。

「メンタルの話で、舞台を作るときもそうなんですが、ものを作るときって、最初『こういうのをやりたい』と思いついて、さわりだけは作ることができる。だけど全部完成させようと思うとまあ大変で、途中で挫折することもあるんです。それでも、なんとか一人舞台をやり切ることを通して、“完成させる喜び”を得ることができ、マンガでもそれと同じようなやり方でやってみたら、そこでも自分なりに完成させることの喜びが得られたわけです。なので、やりたいことを最後まで完成させるというメンタル面での力は、より一層このマンガで経験となりましたね。『完成させる力』が成長しました」

ものづくりの困難と、それゆえの完遂の喜び。これはクリエイターにとっては普遍的な話であろう。中丸が長い芸能活動で培ったあらゆる種類の修練の結晶が、マンガという異なるフィールドに場所が移っても、きらきらと光っているように感じた。

編集者からのメンタルケアでやる気が爆上がり

「山田君のざわめく時間」が走り出すにあたり、キーとなった人物がいる。マンガ家の東村アキコと、東村の担当編集である講談社の助宗佑美氏だ。東村のマンガ「主に泣いてます」が2012年にフジテレビ系列でドラマ化された際、メインキャストとして中丸が出演し、それをきっかけに東村との交流が始まった。7年前には、東村に「明日までに4コママンガを10本描いてみな」と言われ、実際に描き上げてみせるというガッツも見せた。そして、本格的にマンガ家を目指すにあたって、中丸から助宗氏にコンタクトを取り、マンガにおける全方向的な指南を仰いだのだった。

「助宗さんにはよく、『修正のレスポンスがめちゃめちゃ早い!』って褒めてもらいます。でもそれって、自分の普段の活動からすると当たり前でもあるんですよね。たとえば音楽活動を例にすれば、ライブでも歌番組でも、リハして本番まで、限られた時間の中で修正作業をしていく。それってめちゃくちゃ基本で、『そこ変えよう』って言われたら、『なるほど』って即直す。それが当たり前みたいな気持ちで育ってきたので、同じ感覚でマンガにも向き合えている。これまでの活動で培ったいい作用が効いています」

一方で助宗氏は、雑誌のアンケート結果をすべて中丸に共有しているのだという。ポジティブな意見もネガティブな意見も、すべて糧にしてマンガ家として成長してほしいという思いからだ。これに対して、中丸からはこんな声が聞こえてきた。

「ご本人には言っていませんが、助宗さんはメンタルケアの達人でもあるんだなと思いました。ただ『優しい』とは違って、言うことは言うんです。でも、厳しく言うにしても、それと同等のモチベーションの上がることを言ってもらえたりする。

そういう意味では、マンガって、ほかのジャンルに比べてもメンタルが重要かもしれないですね。気持ち次第で、描くスピードはめちゃくちゃ変わる。『なんとなく』では描けない。助宗さんは、どうにかこちらの気持ちを盛り上げてくれるので、すごく感謝してます。もっとも、僕はチャットとかでも絵文字を使わないタイプなんで、喜んでいても感情が伝わりにくいんですけどね(笑)」

(Vol.2は12月下旬頃公開予定)