大橋裕之、燃え殻の小説「これはただの夏」に“アナザーストーリー的”なマンガ寄稿

大橋裕之によるマンガ。 (c)大橋裕之

大橋裕之が、7月29日に発売される燃え殻の小説「これはただの夏」にマンガを寄稿した。

作家およびテレビ美術制作会社で社員として活動し、2017年に刊行した小説家デビュー作「ボクたちはみんな大人になれなかった」がベストセラーとなった燃え殻。「これはただの夏」ではなんとなく独身のまま、テレビ制作会社の仕事に忙殺されて生きてきてしまった主人公・ボクが体験したある夏の出来事が展開される。大橋は同作の“アナザーストーリー的”なマンガを執筆。これについて燃え殻はTwitterで「小説と関係なさすぎて笑いました!」とコメントしている。またマカロニえんぴつのはっとりも書評を寄稿した。

なお仲野太賀が出演する「これはただの夏」のPVもショートバージョンで公開中。7月29日にはフルバージョンが配信され、朗読を務めている若手声優の名前も発表される。

はっとり書評全文

燃え殻さんの言葉はやさしい。 この場合「優しい」と「易しい」だ。 彼はいわゆる本の虫だったわけでなく、 むしろ活字が苦手な方だったと何かで話していた。 何度も同じ行を読み返してしまったり、 途中で音を上げて栞を挟んだきりなんてざらだったと。 だからか、 と腑に落ちた。 胸を打つtwitter投稿の数々が話題となった彼の小説には、 140文字のツイートのリズムそのままが絶えず走っている感じがあった。 拍子抜けする妙な間奏も難解な展開もない彼の文章は非常にノリやすく、 一冊まともに読み切れたことのない同じ側の自分には優しくて、 易しかった。 もともと落ちこぼれだった先生は教え方が上手い、 に近い。 できない生徒の気持ちがよく分かる。
リズムもそうだし、 リアルもある。 小気味良く“事件”が毎ページで起きてくれるのだけど、 小さな嫌な予感が的中して降ってくるのはやはりそれに見合った小さな事件で。 それが絶妙にリアルなのだ。 人生に、 というか生活に大事件はさほど頻繁に起きないし起きてほしくないけど、 なんとなく人並みに散々な目には遭っていたい。 多くの人間がそういう情けない価値観を小脇に抱えて暮らしている。 自ら受け入れたはずのその人並みの不幸の連続に縛られ、 あるいは他者に付け込まれてだんだんと身動きが取れなくなっていく主人公の姿がたまらなく愛おしいのだ。 だって、 自分なんだもん。 あの日の、 そして今日までのやるせない自分そのもの。 そうやって読む人すべてを【自分ごと】にさせてしまうのが燃え殻さんの小説の魅力であると感じる。

「これはただの夏」

今作を一晩で読んだ。 読めてしまった。 リズムとリアルに没入していたら明け方だった。

いつか平沢進氏が「僕の音楽を誰かに無理に勧めるようなことはしないでほしい。 人にはそれぞれ出逢うベストなタイミングと手に取る準備があるから」というようなことを口にしていて、 以来それを僕は肝に銘じているのだが、 この本を読み終えた直後は今すぐ他の誰かにおしえたくなった。 「あんたも手遅れになる前に早く」って、 急いでおしえたい夏だった。
知人の結婚披露宴で出会った優香、 ある雨の日に出会った小学生の明菜、 仕事先の先輩であり長年の悪友である大関、 そしてボク。 4人の短い夏が本作では描かれる。 皆それぞれが問題を抱えながらも引き際や諦めを知って緩やかに平凡を生きているが、 じつはボクにも他の3人にも制限時間のある夏だった。 彼女たちが暗示しているヘルプに気づきながらもボクはモタつき、 どの事情とも深くは交われずにいる。 ようやく素直に向き合おうと覚悟したときには、 夏は終わっていた。
この作品からは場面ごとに多様なメッセージが見出せる。 胸がひりつくピークも読んだひとによって異なりそうだ(僕の場合は終盤の大関との電話のシーンだった)。 いい意味で全体が“散らかって”いて、 それが物凄くリアルな夏の湿度を描いている。 自分の夏の記憶を辿れば、 ノボせたうだる日々の情景がパッチワーク状に繋ぎ合わさって浮かび、 そこらじゅうに未だ清算できていない後悔が落ちている。 そういえばどの夏にも制限時間があったし、 いつも少し間に合わなかった。 そうなんだ。 夏は迎えるたび、 そして越えるごとに何故だか散らかっていく。
あの夏、 素直に会いに行ってただ一緒に泣いてやればよかった。 本当はそうしたかったのにできなかった全てのボクは、 この小説を読んで【自分ごと】にせずにはいられないだろう。 前作『ボクたちはみんな大人になれなかった』は全力で独り占めしたかったのに対し、 この小説は、 ここに描かれている数日は、 今すぐ誰かに伝えたくなる。
「もう遅いと思うには、 きっとまだ早い」と。