マンガ原作者のお仕事 第2回 河本ほむらと「賭ケグルイ」

「賭ケグルイ」86話より。左が河本ほむらによるネーム、右が尚村透が作画した原稿。

“マンガ原作者の仕事”にスポットを当て、醍醐味や奥深さに迫る本コラム。なぜマンガ原作者という仕事を選んだのか、どんな理由でマンガの原作を手がけることになったのか、実際どのようにマンガ制作に関わっているのかといった疑問に、現在活躍中のマンガ原作者に答えてもらう企画だ。また原作者が手がけたネームやプロットと、完成原稿の比較もこのコラムの見どころの1つ。

第2回はアニメ・実写化も果たした「賭ケグルイ」シリーズなどを手がける河本ほむらが登場。幼い頃はマンガ家になりたかったと語る河本が考える、マンガ原作者の魅力とは?

構成 / 増田桃子

プロットの裏話、完成原稿を見たときの感想

プロットに関しては、いつも大筋を考えたのち、箇条書きでおおまかな流れを書き出します。細かい感情の機微などは、ネームの段階で肉付けしていきます。なので、ご覧になればわかるとおり、プロットだけだと意味がわからないものになっています。
完成原稿は、尚村(透)先生による素晴らしい作画により、こんなマンガ描いたっけな?と原作者の僕自身思うほど、クオリティの高いものになっています。それはネームに描かれていない要素、例えば表情、演技などを、尚村先生が作画の段階で付加してくださっているからです。お話やキャラクターを深く理解していただいているからこそできる作画だと思います。
ネームから完成原稿になった段階の、自分の想定を超える質のものができあがってきたときが、原作者の醍醐味です。他力本願ですが。

マンガ原作者になったきっかけ

もともと、幼い頃はマンガ家になりたかったのですが、そこそこ練習しても絵がさっぱりうまくならず、諦めて別の道に進んでいました。
そんな中、学校の冬休みに暇を持て余している折、ガンガンJOKERの新人賞にネーム部門があることを発見し、ネームだけでいいなら僕でもできるかな、と思い投稿してみたのがきっかけです。そのネームが賞にひっかかり、担当が付き、連載ネームを描いてみようという話になりました。それが「賭ケグルイ」です。
連載が軌道に乗り、ほかの連載のお話などもいただくようになり、今に至ります。

最もこだわっている作業

もちろん、お話そのものを考える行程です。お話作りは、小手先のテクニックなどではどうにもならない、単純な面白さの強度を求められるところだと思います。なので、脳内で提案とボツを繰り返し、面白いものができるまで考え続けることになります。つらくもあり、一番楽しくもあり、最もこだわるべきところだと思います。

マンガ原作者という仕事の魅力

自分の想定を超えたクオリティのマンガを描けることです。
例えば「賭ケグルイ」の場合、僕は尚村先生のような美麗な作画は一生かかってもすることができませんし、先述のとおり、尚村先生はお話を理解し、行間を読み、それを作画に盛り込んでくださるので、原作の僕も想定していなかったような作品が完成します。これは、1人でマンガを描いていると経験できない、共同作業が前提となるマンガ原作者の魅力だと思います。

マンガ原作者を目指す人へ

自分がネームまで描くタイプの原作者だからというのもありますが、原作者とはいえ、マンガは描けたほうがいいと思います。
理由は、そのほうが簡単だからです。というのも、ネームを描かない場合は脚本を書くということになると思いますが、脚本はマンガとは形式が違いすぎて、執筆中に完成原稿をイメージしづらいです。マンガの原作として適切な脚本を書くためには、完成原稿をイメージしつつ書く必要があると思うので、脚本形式の原作は、ネーム形式の原作より難易度が高いということになります。
下手でもなんでも、コピー用紙に鉛筆で殴り書きでもいいので、とにかくマンガを描いてみることが重要だと思います。

河本ほむら(カワモトホムラ)

2009年より牛乳名義でWEBマンガを新都社(にいとしゃ)にて執筆。2013年にガンガンJOKER(スクウェア・エニックス)の新人漫画賞でネーム部門奨励賞を受賞し、「賭ケグルイ」でデビュー。現在、ガンガンJOKERにて「賭ケグルイ」(尚村透作画)、「賭ケグルイ双」(斎木桂作画)、「賭ケグルイ(仮)」(川村拓作画)、小学館のサンデーうぇぶりにて武野光との共同原作で「グレイテストM ~偉人麻雀大戦~」(山田秋太郎作画)、月刊コミックゼノン(コアミックス)で「魔女大戦 32人の異才の魔女は殺し合う」(塩塚誠作画)を連載中。