「CHERRY AND VIRGIN」川尻将由×「我々は宇宙人」門脇康平、各々の“世界の描き方”
「第39回東京国際映画祭」アニメーション部門の一環として、「残酷で優しい世界を描く」と題したシンポジウムが本日11月3日に開催された。このシンポジウムには、2027年公開予定の映画「CHERRY AND VIRGIN」の川尻将由監督、9月に封切られ11月にもさらなる拡大上映が決まった映画「我々は宇宙人」の門脇康平監督が登壇。モデレーターをアニメーション部門プログラミングアドバイザーの藤津亮太氏が務めた。
記号的表現は理由があって残り続けてきている
川尻監督はアニメスタジオ勤務後に独立し、自主制作した短編アニメ「ある日本の絵描き少年」で多数の賞を獲得。同作はマンガ家を目指す男性の半生を、その成長に合わせてアニメーションそのもののビジュアルが変わっていくという手法で描き注目を集めた。長編デビュー作となる「CHERRY AND VIRGIN」でもこの手法を引き継ぎ、商業エロマンガ家の男・遼と、BLイラストを描く同人作家の女・亜美、主人公2人のキャラクターデザインを異なるマンガ家が担当。さらに実写も取り入れた独創的な映像に仕上げられている。
一方「我々は宇宙人」の門脇監督も、アニメスタジオを離れミュージックビデオなどの制作を経て、「我々は宇宙人」で長編アニメデビューを果たした。その経歴にも共通点が感じられる両者だが、それぞれの作品も主人公を2人据え、決してきれいなだけではない関係性を描くという共通点がある。そんなところからスタートした今回のシンポジウムは、まずそれぞれのキャラクターの話題から始まった。
川尻監督は「男性主人公、女性主人公の悩みは、基本的に自分が過去や今思っていることで、自分のインナースペースで戦っている2人」と述べ、門脇監督も「僕も割と近くて、自分の人生経験をときにダイレクトに、ときに脚色しつつ、その要素を多分に含んだのが翼と暁太郎」と続く。それだけではなく知人づてに取材も重ね、川尻監督は恋愛観について、門脇監督は子供の頃の記憶についてなどを聞き込んでいったという。また門脇監督はキャラクターについて「自分の都合で動かしてるんじゃないか?と思うようなシーンをなくして、今自分が信じられると思う言葉や行動だけで演出する、というのはどのキャラクターでも徹底していました。“監督そのままだろう”と思われるのはノイズになるし、そうではないようにしたつもりですが、自分の幼少期を知ってる親や昔の友人には、翼も暁太郎も『昔の康平みたい』と言われます(笑)」と話した。
アニメにおける記号的表現について話がおよぶと、門脇監督は「脱記号かと言われるとそうでもなく、半々と言いますか。日本のアニメやマンガの中で残ってきたデザインは、理由があって残り続けてきているので、一見記号的でない作品の中にどうやって入れられるんだろうとも思っていました」と回想。キャラクターを遠くから見るときにはある程度記号化した表現を使い、近くで見たときはディテールを入れ込むなど、使い分けをしていたと明かす。川尻監督も「新しいものを目指そうと思って、結局過去の記号の優れたものを知る、というのはやっぱりありました」と共感を示した。
“生々しさ”を担うロトスコープの使い方
また藤津氏は、両作に宿る“生々しさ”を担う要素の1つとして、ともにロトスコープが使用されている点に言及。一方で、ロトスコープの撮り方や使い方ではそれぞれに違いがある。門脇監督は主に子供の動きのリアリティを表現するためにロトスコープを導入した。「例えばアニメーションでは歩く・走る動作を、重心を真ん中において転ばないように動く、という基本を学びますが、子供は積極的に転びに行くような動きをしてしまう。そういうものをゼロから描いていくのはかなり難しかったので、ロトスコープは絶対必要でした。ただ現実的な範囲でしか動かないので、アニメーション的な気持ちよさが失われるという弱点もある。どこにその弱点が出るかも全然違うので、毎カット自分で見定めていきました」とこだわりを語った。
またロトスコープ撮影のための子役もオーディションを実施し、翼と暁太郎に性格が似ており仲がいい2人を選んだという。撮影で体育館を使用する際には、中学校に体育館を借りる代わりにその生徒の職場体験を受け入れたというエピソードも明かした。
川尻監督は、予算が少なくプロのスタッフを集められない中で、レイアウトをコントロールすることがロトスコープを使う主な目的であった。しかしキャラクターデザインや原画にマンガ家が参加している今作では、ロトスコープの生々しい動きは避けたかったと話し、「ロトスコープで生々しい芝居をしてもらって、それをリミテッドアニメーションに整理するために、プロのアニメーターにシートを打ってもらい、中割りは実写を無視して割っていくことでロトスコっぽさをなくしていきました」と説明。一方で今作では、ロトスコープ素材の撮影に参加した役者は声もあてており、役者の意見でセリフを変えた部分もあるという。「1人でコントロールすると自分の価値観の2人になって、2人の絵柄が違う意味が薄れてしまうので、キャラクターデザインや役者さんの考えも尊重していました」という話からは、表現したい物語と表象、作り方の一貫性を大事にする姿勢が感じられた。
どこが動いてもおかしくない状態の演出をする
背景の話題では、門脇監督が「我々は宇宙人」の写実的な美術について、大きく2つのこだわりを明かした。1つは「作品を観て何かしら希望をちゃんと持ち帰れるようにしたい」という思い。「1つの希望は間違いなく、世界にいろんなものがあるということ。道路は灰色だけじゃなく、青色も赤色もあるし、蟻の巣があるかもしれない。そういうのをすくっていかずに“道路は道路”と(いう認識に)なっていくと、自分の範囲内にあるいろんなものに、より苦しむのかなと思うんです」と門脇監督は語る。
もう1つは「どこが動いてもおかしくない状態の演出をする」ということ。「今のお客さんのアニメリテラシーを考えました」と切り出すと、「例えば、さっきまで背景だった崖がセル(キャラクターなど動く部分)になってたら『これから足を崩すぞ』とわかるし、逆に言えば、セルになってない石は絶対に壊れないのが確定しているんです。そうなると、自分が描きたいと思った世界を描くこととズレてくる」という話からは、門脇監督の創作へのスタンスが表れていた。
「一番の難所はどこだった?」という質問には、たくさんあるといった様子で2人とも頭を悩ませる。川尻監督は、遼のキャラクターデザインを担当したマンガ家の高柳カツヤに、作画も手がけてもらう決断をしたタイミングを挙げる。高柳の自分で作画も担いたいという希望を受け、「これをOKしたら、本当にマンガの絵が動くものができる。でも、完成しないかもしれない。同時にその2つの思いがめぐって。『まあ死んでもいいや』と思ったという瞬間がありました」と笑いながら回顧する。
門脇監督はストーリー制作での苦労を挙げ、約2年前、紆余曲折を重ね林健太郎プロデューサーが一度100点を付けたVコンを、初見の3人ほどに見せたところ、「つまらない」と正直な感想をもらったことを明かす。完成した映画においては重要な出来事である“事件”の場面やその真実が明かされるといった要素が、それ以降に生まれたものだという驚きのエピソードも語られた。
川尻監督の話に「勇気づけられた」と言う門脇監督と、興味津々といった様子でたびたび門脇監督に質問を重ねていた川尻監督。締めの挨拶のタイミングで川尻監督が「自分で“イカれてるな”って思ったりします? 自分はこれを作りたいって正当な気持ちでやってるけど、ほかと照らし合わせて、なんちゅう作り方してるんだろうって……」と問いかけると、門脇監督は「それがいいと思って選んだし、一番楽しいやり方でやっていましたね。きっと川尻監督もそうなんじゃないですか」と微笑んだ。
