ネットミーム「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!」から読み解く「神のみぞ知るセカイ」(若木民喜)の魅力

「元ネタ知らずにミームを使うな!」第2回

「このミーム、元ネタ何?」という経験をしたことがある人も多いのではないだろうか。

近年、SNSやネット掲示板のやり取りで、いわゆる“インターネット・ミーム”化したマンガの一場面を目にすることは多い。インターネット・ミームとは、ネット上で人から人へと伝わっていく中で、パロディや改変を繰り返しながら、多くの人に認知、共通の認識を形成されるに至った動画、画像、フレーズなどのことを指す。

しかしそうした性質上、ミーム画像は物語から切り離されて本来の意味を失ったり、画像だけがひとり歩きしてしまい作品名すら認知されないといったことが起こってしまう。

ミーム化しているマンガの画像は、どれもひと目見ただけで記憶に残るインパクトを持っている。一瞬で人の心を揺さぶるセリフと絵の力は、名作マンガの条件でもある。そうした名作をミームとして記号的に消費してしまうのは、もったいないのではないだろうか。本コラムでは誰もが目にしたことがあるであろうミームの元ネタを辿り、その魅力を改めて紹介していきたい。

※本コラムの画像は、出版社の許諾を得て使用しています。マンガの画像をネットミームとして無断使用することを推奨する記事ではありません。

文 / 籠生堅太(yomina-hare)

今回紹介するのは、このカンガルーたち

ボクシンググローブをはめた2匹のカンガルーが対峙する絵と、「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!」という本質を突いたようなセリフのミスマッチが印象的なこの画像。元ネタは2008年から2014年にかけて週刊少年サンデー(小学館)で連載された「神のみぞ知るセカイ」だ。恋愛ゲームの愛好家で「落とし神」とも呼ばれる主人公・桂木桂馬が、ゲームの知識を駆使して現実の女の子との恋愛に挑むラブコメマンガで、2010年から放映されたTVアニメは、3期まで制作されるヒット作となった。

絵柄は作品、作者を特定する大きな要素だ。例え作品のことを知らなかったとしても、描かれているキャラクターから作品や作者を推測した経験は誰にでもあるだろう。しかし今回紹介するこのミーム画像に描かれているのは動物だけ。「神のみぞ知るセカイ」は知っている。ミームの画像も見たことがある。でも両者が結びついてはいなかったという人も少なくないはずだ。

元ネタの推測が困難なことに起因するのか、このミームについては、作品からだけでなく絵からも切り離され、セリフだけが独り歩きしている場面をよく見かける。SNSで検索をかけてみても、本連載で前回取り上げた「ば~~~~~っかじゃねえの!?」やその他のミームと比べてもセリフ単体での投稿が多いように感じる。

現在では、トラブルの際に自分のほうが優れていると暗に示すために使われたり、他者の揉め事に対して「レベルの低い者同士が争っている」と嘲り笑うために使われたり、あまりお行儀がいいとは言えない場面で見かけることも多い。対話を続けることを否定し、相手を程度の低いものと切り捨てる……そんな分断を加速させる装置のような使われ方をされていることは、原作読者としては心苦しい。

多くのミームが争いの場面で使われてしまうのは、ミームという「みんなが知っている巨大な何か」の力を借りることで、自分自身の正当性を補強しようという心の動きがあるのではないだろうか。その繰り返しの中で、ミームは作品本来の文脈から切り離され、人々が望んだ姿に書き換えられていってしまう。そうやって追いやられてしまった作品本来の姿にもう一度立ち返ろうというのが、このコラムの目的のひとつだ。

「レベル」とは、実は◯◯のこと

いわば「強者の側のセリフ」として定着している「争いは~」だが、本来はどのような文脈で発せられたものなのだろうか。

このセリフには続きがある。

「ボクと現実(リアル)が争うことはあり得ない!! なぜなら、ボクと現実(リアル)には接点がないからだ!! ボクは…ケンカなんかしていないっ!」

主人公・桂馬は恋愛ゲームを愛する反面、現実を「クソゲー」と見下している。そんな彼が同級生女子とのケンカについて尋ねられた際に発したのが、ミームのセリフである。つまりレベルとは次元のことを指しており、恋愛ゲーム(2次元)にしか興味のない自分が、同級生女子(3次元)とケンカするはずがないという苦しい言い訳の一部分なのだ。

それと同時に、物語開始時点では現実に対してまったくの興味を持っていなかった桂馬が、少しずつ周囲との関わりを持ち始めたこと、自身でもそれをまだ受け入れられていないことが伝わってくる、おかしくもちょっと微笑ましいシーンなのである。

同じ場面であったとしても、ミームを目にした際の印象と原作を読んで感じる印象はだいぶ異なる。

「ゲームの知識で無双」の先駆け的存在

まだまだアニメやゲーム、マンガといったものが今ほど市民権を得ていなかった2000年代において、青春のメインストリームである恋愛にゲームの知識で挑むという設定は衝撃的だった。「神のみぞ知るセカイ」は、今でこそ馴染み深い「ゲームで得た知識をもとに、現実の世界で活躍をする」という設定の先駆け的な作品でもあった。

当時はまだ恋愛ゲームに対する風当たりは強く、フィクションの中ではモテない男性の逃げ込む先というネガティブなイメージで描かれることも少なくはなかった。そんな中で、容姿も整っていて、勉強もできる、けれど何よりも恋愛ゲームを愛している桂馬のキャラクターも新しかった。

そんな彼が、次々と現れる魅力的なヒロインたちにゲームの知識で挑んでいく。女性を「攻略」するという言葉の響きに反感を抱く人もいるだろうが、実際に作品に触れてみると、桂馬の女性への接し方は非常に丁寧で好感が持てる。だからこそ攻略の糸口であるヒロインたちの悩みを見抜くこともできるのだが、だからといって現実はゲームのようにはいかないことも。そこを桂馬がどう乗り越えていくのかも、本作の面白さのひとつでもある。

全26巻という長期連載の中で、物語は少しずつテイストを変えながら進んでいく。1度攻略したヒロインが再登場したり、新たな一面を見せてくれたりと飽きることなく楽しめる。ボリュームはあるけれど、軽い読み心地でサッと読める本作。今回取り上げたミーム以外にも桂馬のキレキレの名言が盛りだくさんなので、自分だけのお気に入りの名言を探してみるのも楽しいのではないだろうか。

©若木民喜/小学館