ビジネスとクリエイション、両輪の挑戦から生まれた独自のグルーヴ感 DLE小野亮&椎木隆太インタビュー
アニメ制作会社の社長やスタッフに、自社の歴史やこれまで手がけてきた作品について語ってもらう連載「アニメスタジオクロニクル」。多くの制作会社がひしめく現在のアニメ業界で、各社がどんな意図のもとで誕生し、いかにして独自性を磨いてきたのか。会社を代表する人物に、自身の経験とともに社の歴史を振り返ってもらうことで、各社の個性や強み、特色などに迫る。
第23回では、「秘密結社 鷹の爪」で知られるディー・エル・イー(以下DLE)にフォーカス。創業者である椎木隆太氏、そしてFROGMANこと現在の代表取締役社長CEO・CCOの小野亮氏にそれぞれ話を聞いた。「秘密結社 鷹の爪」を筆頭にFlashアニメで一時代を築き、「耐え子の日常」「Fate/Grand Order 藤丸立香はわからない」などユニークなショート作品をハイスピードで送り出す一方で、2025年には「野原ひろし 昼メシの流儀」で30分アニメの新たな形を提示。ビジネスとクリエイティブの両輪で挑戦を続けている。ハイカロリーなアニメが増え続ける時代に、ローコストでも人を惹きつけるDLE作品独自のグルーヴは、互いに才能を認め合う2人の出会いから始まった。
取材・文 / はるのおと 撮影 / ヨシダヤスシ
ハリウッドへの野心とウォークインクローゼットからの再出発
2000年代中盤、日本のアニメ業界にひとつの「異端」が現れた。Flashアニメという軽量な手法を武器に、圧倒的なスピード感で作品を量産し、既存の製作委員会方式とは一線を画すビジネスモデルを構築したスタジオ・DLEだ。その原点には、創業者・椎木隆太氏が抱いた「日本とハリウッドをつなぐ」という野心があった。
椎木氏のキャリアは、ソニーから始まる。アニプレックスの前身であるSPE・ビジュアルワークスの創業メンバーとして、海外部門の責任者を務めた彼は、アニメという産業の可能性を早くから肌で感じていたという。
「1990年代末期は、日本のアニメがいよいよ世界へ本格的に進出しようとしている時期でした。私は『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』などの作品を海外に売り込む中で、日本のアニメは世界の人の心を掴めるという確信を得たんです。その産業の一翼を担い、ハリウッドと日本をつなぐ役割を果たしたい。そう考え、2001年に独立し、海外向けに映像コンテンツビジネスのコンサルティングを行う有限会社パサニアを設立しました。
しかし、いざ独立してみると世の中そんなに甘くない。ソニーという看板があって初めてビジネスができていたのだと気づかされました。ずっと自宅のウォークインクローゼットをオフィスにして、社員も増やせない状態が続いて。でも、この時期にうぬぼれが消え、どんな小さな仕事でも全力で取り組む謙虚さを学びました。そんな中、世界的な玩具メーカーであるハズブロに評価していただき、『トランスフォーマー』のプロデューサーを任されることになったんです」
ハズブロとの仕事を通じて、椎木氏は新たなビジネスモデルに着手することになる。それがDLEの“あの代表作”へと直接的につながっていく。
「ハズブロから『日本の権利元は面倒なことばかり。もっと自由に使えるIPはないのか』と言われたんです。そう言われた当時はブロードバンドが普及し、軽量なFlashアニメがネットやケータイで広がり始めたタイミング。そこでうちも、100%権利を保有するIPを作ろうと動き始めました。
社名を変えたのもこの頃。パサニアは学術名でシイノキ……つまり自分の名前です。でもアニメ作りを始めようとしたときに、自分の名前を冠する社名は、目指しているところが小さいのではないかと感じ始めたんです。もっといろんな人の夢をつないで、国境を越えていくような大きなエンタテインメントを作っていく会社でありたい。そう考えてドリーム・リンク・エンターテインメント(DLE)という社名に変更しました。
ただ、そうしたビジネスモデルは作れても、自分の100のアイデアを、500にも700にもしてくれる“掛け算してくれるパートナー”が必要だと考えていて。そんな中、ネットで見つけたFROGMANの映像は、チープだけれどセンスがすごかった。『この人だ!』と確信し、2005年8月27日に大阪で開催されたイベントに会いに行きました」
島根の「背水の陣」で手にした魔法のツール
ここからは小野(FROGMAN)氏の視点でDLEの現在に至るまでをたどろう。椎木氏が20年以上経ってもすらすらと語り聞かせてくれた“運命の日”の邂逅に至るまで、小野氏も紆余曲折を経ていた。高校卒業後に彼は実写映画業界に進み、「北の国から」などの現場に入り、10数年にわたって過酷な環境でキャリアを積む。しかし結婚を機に新天地へ。
「僕は実写の映画監督を目指していましたが、30歳を迎えて所帯を持ち、奥さんの出身地である島根に移住しました。しかし当時の自分は無職同然。子供が生まれる時期に『もう映像の世界は諦めて、バイトでもしようかな』と弱音を吐いたら、彼女が『あんた、島根にバイトしに来たの?』と激怒して。その言葉に一念発起し、Flashというツールに手を出しました。
2002年当時は『ほしのこえ』の新海誠さんや『スキージャンプ・ペア』の真島理一郎さんなど、“1人でこれを作ったんだ”という個人作家が脚光を浴びていました。映像業界も『個人作家は金になる、DVDを売ったら商売になる』と盛り上がっていた時期だったし、それで自分もやってみようと」
そうして島根で制作された最初のFlashアニメ『菅井君と家族石』は、匿名掲示板・2ちゃんねるを中心にネット界隈で大きな話題となる。
「最初から評判になったおかげで、ネットの中では変な全能感というか『俺ならいける』という妙な自信がありました。でも僕が育った時代って、アニメは『子供の遊び』という感覚が強かったんです。それでアニメをやるということを伏せておきたいなという本音もあって、FROGMANというペンネームを使っていました」
運命の邂逅、そして「ファストエンターテインメント」の産声
そして2005年、大阪で開催されたWebアニメーションイベント「JAWACON」で、小野氏と椎木氏は対面する。当時、すでにネットの有名人だった小野氏のもとには大手メーカーからも「一緒にDVDを出そう」と声がかかっていたという。しかし、彼がパートナーとして選んだのは椎木氏だった。
「椎木と最初に話した際に『小野さん、これ月に何本作れます?』と聞かれました。それで『5分アニメなら1週間でいけます。月20分は固いです』と即答しましたね。
その頃、椎木は“マイクロプロダクション”というビジネスモデルを構想していて、それにシンパシーを感じたのが、手を組む決め手でした。ネットで動画を見る時代になれば、何十人もかけて1本のアニメを作る旧来のやり方ではない手法のアニメも需要が出てくる。そして脚本から絵、声まで全部1人で完結させるジェネラリストが、ファストフードのように早く、安く、面白いものを供給する。その戦略が、僕の考えていた生存戦略と合致したんです」
この出会いから、のちに椎木氏が“マイクロプロダクション”を発展させて提唱する“ファストエンターテインメント”の第1弾となる「秘密結社 鷹の爪」が誕生する。
「ZoomもGoogle Meetもない時代だから、NTTの高価なテレビ電話会議システムを導入して、島根と東京で毎週ミーティングをしました。そこから生まれたのが『秘密結社 鷹の爪』です。椎木が最初から『海外へ持っていきたい』と言っていたので、海外の人でもわかりやすい『勧善懲悪のパロディ』という骨組みから作品を構築しました。
ただ2005年末、僕が島根で作った「秘密結社 鷹の爪」のパイロット版を椎木がユニバーサル・ピクチャーズに持ち込んだところ、プロデューサーが『これは面白い! 先に国内を制圧してから海外へ行こう』と。それで日本向けに、民放各局への売り込みが始まりました」
上京、300日連続の牛丼
「秘密結社 鷹の爪」のパイロットフィルムは各社に好評で、主要民放4社のうち3社が「うちで放送したい」と手を挙げた。最終的にテレビ朝日での放送が決まるが、その条件は30分番組(1クール分)という、当初の予想を遥かに凌駕するボリュームだった。
「月に20分という話だったのに、想定外のボリュームになって。遠隔で作業していてはとても間に合わないと思い、すぐに上京しました。ただDLEは僕が合流する前まで、社員が3人程度。椎木が『でもクリエイターを集めたから大丈夫!』と言っていたんですけど、上京してみたら集まった数人の若手は誰もFlashが使えない(笑)。元アニメーターが2人、マンガ家の卵が1人だったかな。結局、僕が教えながら全部やるしかなく、それから大変な生活が始まりました」
待っていたのは「300日連続の会社泊まり込み」という狂気の日々だった。風呂とトイレ以外はずっとデスクの前。ベッドどころかソファに横になる暇もなく、机の上で突っ伏して寝る毎日……。
「外に行く時間が惜しくて、食事は全部買い出しです。当時、会社の近所にすき家があったんですが、そこの牛丼を300日間、文字通り毎日食べ続けました。今の時代なら即アウトでしょうけど、実写の現場を経験した僕からすれば、これほど恵まれた環境はないと思っていましたよ。向こうの現場なんて、撮影していればヤクザは来るわ、警察には怒鳴られるわ……。それに比べれば、誰にも邪魔されず、エアコンの効いた部屋で机の上で寝られるなんて、天国みたいなもんですよ(笑)」
年間500本の“打席”が育む多彩な演出家たち
規格外のクリエイター・FROGMANを中心に制作された「秘密結社 鷹の爪」は、放送後、アニメファンに留まらず一般層も巻き込んだヒット作となり、現在までさまざまな形で続く人気シリーズとなる。そしてDLEは、業界の異端児として多数のFlashアニメを制作する一大スタジオとなった。そのなかで培われた自身、そしてDLEの“らしさ”の核心として、小野氏は「脚本」と「芝居」を挙げた。
「DLEのアニメは、脚本を絶対に疎かにしません。それともう1つ大事にしているのが芝居です。今のアニメ業界って、声優さんの芝居が紋切り型になりがちじゃないですか。悪役はこう、ヒロインはこう、という型がある。僕はそれが嫌で、当初は大ゲンカもしました。アニメ業界には音響監督という人がいると知らなくて、収録現場に勝手に役者に指示を出そうとしたおじさんに『お前、誰だ! 俺の作品に口を出すな!』と詰め寄ったこともあって(笑)。芝居を作るのは監督の仕事。そこから生まれるテンポ感や雰囲気こそ、うちらしい演出だと思います」
こうしたこだわりが、ほかでは真似できないDLE特有のグルーヴ感を生み出している。さらに、そのグルーヴを搭載したアニメが常に量産されているのが、DLEがほかのアニメスタジオと最大に差別化されている点だろう。その背景には独自の育成メソッドがあった。
「年に1本しか作らない高名な演出家より、月に何十個もショートコンテンツを作っている若手のほうが、圧倒的に早く成長しますよ。Flashというツールは、タイムライン上で絵も音もタイミングも1人で制作を完結できる。つまり、新人でも最初から“演出家”としての視点を持たざるを得ないんです。それでトライアンドエラーを繰り返し、PDCAサイクルをどこよりも速く回すうちに成長していく。大体、うちが制作する映像コンテンツは年間500本。この“打席数”の多さこそがDLEの強みです。
例えば『野原ひろし 昼メシの流儀』の西山司監督も、もともとは設定通りに線を引くのが得意なアニメーターでした。入ってきた当初は『自分で色を塗らなきゃいけないんだ』と絶句していたくらいで(笑)。そんな彼もうちで多くの作品を作るうちに、BGMやSEまで自分でつける演出家になりました。今、DLEの社員は60名くらいですが、そのうちクリエイターが30名。1人でディレクションができる人間が7名もいます。うちくらいの規模で、これほどディレクターが揃っている会社はほかにないんじゃないでしょうか」
日曜夜の青天の霹靂「代表取締役をやってくれ」
DLEは「秘密結社 鷹の爪」のヒット後、アニメを利用したマーケティングビジネスにいち早く着手。さらに東京ガールズコレクション(TGC)の買収と再生、実写映画への進出など、アニメの枠を超えた成功を収めていく。その背景には常に椎木隆太という男の先見の明があった。
「東京ガールズコレクションは当時、周りから“オワコン”だなんて言われて、懐疑的に見られていました。それを椎木は『年に2回しか稼げないのがおかしい。地方巡業とかして、稼ぐ機会を増やせばいい』と可能性を見抜いて復活させた。「秘密結社 鷹の爪」だって、僕のパイロット版を見た椎木が『これじゃ売り物にならない、かわいいキャラを入れろ』と言ってレオナルド博士が生まれたんです。僕はあくまで演出をしているだけで、基本のコンセプトは彼が作っています。椎木は天才ですよ」
そんな創業者の椎木氏に始まり、DLEの社長は2019年の朝日放送グループホールディングス(ABC GHD)傘下入り以降、親会社からの出向組が務めてきた。しかし2025年6月、小野氏は突如として代表取締役社長に就任することになる。ABCが株を売却し、経営体制が変化する中で新しい社長を立てる必要が生じたためだが、その経緯は本人にとっても「青天の霹靂」だったという。
「日曜日の夜、家族とテレビを見ていたら椎木から電話があって。彼からそんな時間に電話があるなんて、あんまりいい話じゃないなと身構えてたんですが、『小野さん、代表取締役をやってくれ』と。あまりに突然の話で、こちらとしては『はあ?』ですよ(笑)。ただ、そんな急な椎木からの電話で『お断りします』は通用しないので、その場で引き受けました。それまで取締役会に参加してもウトウトしていたくらい、経営には関わっていなかったんですけどね。
でも最近は、意外と真面目に社長業をやっていますよ。僕みたいなクリエイターが社長になったことで、世間からは『DLEがクリエイティブ重視に戻った』という期待を持たれたみたいですし。実際に『野原ひろし 昼メシの流儀』の成功やAIを活用した作品作りもあって、『DLEが変わった』という声をもらえている。そういった点はよかったですね」
最大の転機は「2025年」
看板クリエイターとして、現在は社長としてDLEを牽引してきた小野氏にとって、最大の転機はいつか。その問いに対し、彼は迷いなく「2025年」と答えた。それは、彼が長年抱き続けてきた「Flashアニメーターとしてのコンプレックス」を打ち破った年でもあるからだ。
「2025年秋に放送・配信された『野原ひろし 昼メシの流儀』の成功は、過去のどの作品の成功よりもうれしいものでした。というのも、Flashアニメーションがほかの地上波作品と同じ土俵に立てた、エポックメイキングな出来事だったからです。
これまでのFlashアニメって、業界内でもファンからも、どこか“バッタもん”というか、一段低い格下に見られがちでした。ところが『野原ひろし 昼メシの流儀』はニコニコ動画やSNSでファンが『今期覇権アニメはこれ』と言ってくれたり、ABEMAの『日本アニメトレンド大賞2025』でアニメ話題賞をいただいたりして。Flashアニメとそうではない既存のアニメの垣根を、ついに打ち破ることができたんです」
また、2025年にDLEはもうひとつの野心的な作品を世に送り出している。明治時代に怪談を世界に広めた島根ゆかりの作家・小泉八雲の名を冠した「小泉八雲のKWAIDANの世界」だ。この作品は、同じ話を実写ルックとアニメルックの両面で提供するなど、AIを駆使した映像表現を武器にしていた。
「『小泉八雲』には、僕自身の手では到底描けないような美しい女性の絵や、実写と見紛うような質感の映像が溢れています。これをデスクにあるパソコンの中だけで作り出すことができる……僕のような物語や作品を作る人間として、AIは本当に夢のような道具なんですよ。もちろん『AIなんてアニメじゃない』とか『クリエイターの敵だ』なんて罵詈雑言を浴びせる人もいるでしょう。でも、それは20年前にFlashアニメを始めたときとまったく同じ。ヒット作が出れば、世界の見え方は一変するはずです」
AIという新たな武器を携え、展望する次の四半世紀
「小泉八雲のKWAIDANの世界」を制作したのは、DLEが2025年に設立した約10名体制のAIアニメスタジオ・OBETA AI STUDIOだ。同スタジオでは、AIを単なるツールとして活用するだけでなく、アニメ制作の仕組みそのものを「解体」し、新たなエンタテインメントを作り出そうとしている。その試みの先には、2026年に設立25周年を迎えるDLEにとって、さらなる25年のビジョンをのぞかせていた。
「今のアニメのワークフローって、手塚治虫さんの時代から70~80年もの間、本質的には変わっていません。絵コンテがあって、原画、動画、背景、撮影という工程があって……今のデジタル時代にはまったく合っていないんです。撮影や背景、制作進行といった膨大な役割分担も、AIを正しく使えばかなり効率化できます。『小泉八雲』で証明したように、実写ルックの映像を少人数のクリエイターで生み出せますし。かつて椎木が提唱した“マイクロプロダクション”という思想が、まさに今、実現しつつあるんです。だから多くの会社が『AIは著作権が……』とか『まだ精度が……』なんて様子見をしている今こそ、僕たちは真っ先にAIを取り入れ、それを活かした作品を世に送り出そうといろんな仕込みをしています。
ただ、技術がどれほど進化しても、それだけで作られたものが多くの人に受け入れられるわけではないでしょう。そこは我々、そして日本のクリエイターが得意とする“愛される技術”が重要になってくるはず。もしかしたら、将来的にはアニメという媒体ではないかもしれませんが、その“愛される技術”とDLEらしい遊び心を掛け合わせた、面白いものを今後も世に送り出し続けたいです」
プロフィール
小野亮(オノリョウ)
1971年生まれ、東京都出身。映画の制作スタッフとしてキャリアを積んだ後、「蛙男商会」名義で「秘密結社 鷹の爪」「古墳ギャルのコフィー」「土管くん」などのFlashアニメを発表し、インターネット上で人気を集める。2006年にディー・エル・イーに入社。「秘密結社 鷹の爪」を含む「THE FROGMAN SHOW」がテレビ放送されブレイクする。2025年に同社の代表取締役CEO・CCOに就任。2025年7月には、AI映像スタジオ「OBETA AI STUDIO」を開設した。
椎木隆太(シイキリュウタ)
1966年、静岡県出身。慶應義塾大学卒業後、1991年にソニー(現ソニーグループ)入社。SPE・ビジュアルワークス(現アニプレックス)海外ライセンス部門長などを務めた。2001年にパサニアを創業し、2003年にディー・エル・イーへ商号変更。現在は同社の取締役COOを務める。
