あのマンガの装丁の話 第2回 「スケッチー」デザイナー / 大島依提亜編
装丁とは、本を開くよりも前に読者が目にする作品の顔。そのマンガをまだ読んだことがない人にも本を手にとってもらうべく、作品の魅力を凝縮したデザインになっている。装丁を見ることは、その作品を知ること。装丁を見る楽しさを知れば、マンガを読む楽しさがもっと広がるはずだ。本コラム「あのマンガの装丁の話」では毎回1つのマンガを取り上げ、装丁を手がけたデザイナーを取材。作品のエッセンスをどのようにデザインに落とし込んだのか、そのこだわりを語ってもらう。
第2回では、マキヒロチ「スケッチー」(講談社)をピックアップ。装丁を手がけた大島依提亜氏に話を聞いた。また大島氏による「装丁の好きなマンガ本」3選(+1)もラストで紹介する。
取材・文 / 淵上龍一
男だからでも、女だからでもない、すごくニュートラルに「ピンクが好き」って言っていいじゃん
──今回は「スケッチー」の装丁デザイナーとして、大島依提亜さんにお越しいただいたわけですが。大島さんといえば映画関連の仕事をメインにされている印象があり、こういったマンガ装丁のお仕事をされているのは少し意外でした。
そうですね。確かに映画は大好きでたくさんデザインもしていて。「ミッドサマー」「万引き家族」のポスタービジュアルとか、最近のだと「ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021」のデザインなんかも手がけました。
──装丁のお仕事というのは、普段どれぐらいされているんでしょうか。
ブックデザインの仕事も映画と半々くらいは。マンガの仕事だと灰田高鴻さんの「スインギンドラゴンタイガーブギ」(講談社)とかもやってます。……ただ、これまでの主なマンガ仕事を振り返ると「サザエさん」の復刻版とか「火の鳥」新装版とか、もはやマンガというカテゴリーを越えたレジェンド作品みたいなのがほとんどで。なので「マンガの仕事をやってる、マンガの装丁デザイナーです!」と胸を張って言える感じではないよな……と、今日はおっかなびっくりやって来たところがあります。この企画、2回目に呼ぶのが僕でよかったんですかね? どんどん「マンガの装丁」のメインストリームから外れていっちゃわないですか?
──(笑)。そんな“一般的なマンガ本”の装丁を手がけるのは珍しいという大島さんが、どうして「スケッチー」のデザインを担当することになったんでしょうか。
マキヒロチ先生の「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」のドラマ版があって、その宣伝デザインを僕が担当していたんですよ。「スケッチー」の担当編集者さんがそれを知っていたようで、デザイナーを決めるとき僕を候補にあげてくださったみたいです。
──映像作品の仕事をメインにされている大島さんのキャリアが、「吉祥寺」の実写化によって原作マンガを描かれているマキ先生の新作に繋がったと。すごく“縁”みたいなものを感じますね。
普段やってないタイプの依頼が来ると「なんでうちなんですか?」って理由は聞くようにしてますね。マンガに慣れ親しんでいないのでお話をいただいたときはかなり緊張していたんですが、そういうキャリアのデザイナーを求めているということが打ち合わせの中でわかってきて安心しました。これならもしかしたら僕でもできるかもって。
──「これならもしかしたら僕でもできるかも」というのは、大島さんほどベテランのデザイナーさんの言葉とは思えない弱気さが感じられて少し面白いです。
これはマンガに限った話じゃないですが。ラノベならラノベらしさ、ビジネス書ならビジネス書らしさみたいな、装丁の仕事というのはそのジャンルっぽさを出さねばならんという大きな命題を抱えていると思うんです。「らしさ」を出すのはそのジャンルに精通している必要があるし、これまでたくさんの人と作品によって耕されてきた土壌の上に成り立っている。そこに僕が入っていけるのかという思いはありました。けどお話を聞くうちに、いわゆるマンガ的な装丁というよりは、ちょっと別のイメージを入れたいという意図で自分がアサインされているようだったので。その期待になら応えられそうだぞと。
──実際に「スケッチー」の表紙を見てみますと、確かに主流のマンガ装丁とは少し違う趣向が込められているように感じます。具体的にこの装丁は、どのようなイメージで作られたのでしょうか。
「スケッチー」の装丁は、マキ先生の中にかなりハッキリとしたビジョンが最初からあって。海外のハイカルチャーの雑誌とか、ファッション誌みたいな表紙にしたいとお願いされたんです。それに「ピンクと花のイメージを使いたい」と。
──そうしてできあがった1巻は、ピンクのカバーの真ん中に肖像画のようなタッチで主人公・憧子が描かれたデザインでした。飾りっ気がなく、すごくシンプルなのだけどキャラクターの力強さが伝わってきます。マキ先生の要望から、大島さんはどのようにこのデザインにたどり着いたのですか。
ストリート感のあるスケートボードという題材と「ピンクと花」は、一見相反するように思われそうですけど。マンガの内容を読んでいくと、ジェンダーや性別の問題というのがすごく深く物語に絡んでくるじゃないですか。だから、一般的に女性的と思われているモチーフをあえて持ち込むことで固定観念をゆらがせるというか、撹拌するような作用をマキ先生は狙いたいんじゃないかと思ったんです。
──「ゆらがせる」「撹拌する」というと?
僕はピンクって大好きなんですが、それを女性っぽいとかすぐ言われちゃうんですよ。そうやって排除されたり、逆に女性っぽくしたいから使ってくださいと言われたりするような型から抜け出した「女性性・男性性から解放されたピンク」にしたかった。男だからでも、女だからでもない、すごくニュートラルに「ピンクが好き」って言っていいじゃんっていうところかな。これはデザインをするにあたって考えた、僕なりの解釈ではありますが。そういった「しがらみからの解放」みたいなものを念頭に置いているというのは、物語や打ち合わせからひしひしと感じました。「女の子が主人公のマンガだからかわいらしくピンクにしよう」そんなふうには、絶対チョイスしていないと思います。
──もうひとつの要望「花のイメージ」は、目次ページや話と話の合間に使用されていますね。この絵はマキ先生が描いたものなんでしょうか?
違います。これはパブリックドメインが切れて自由に使える素材を組み合わせて作ってます。先生は漠然と「花」とおっしゃったんですが、さっき言ってた撹拌の作用を狙うなら、なるべくスケートカルチャーから離れたテイストを入れたいと思って。博物学の古い植物画のモチーフを引っ張ってきていますね。
マンガ装丁の主流とは逆を狙った「全部真ん中に寄せるデザイン」
──装丁について「ピンクと花」のほかに「海外のハイカルチャー誌」というキーワードも出てきました。こちらのイメージは、どのようにデザインに落とし込んだのでしょうか。
マキ先生が打ち合わせにいくつか雑誌を持ってきてくれたし、自分も普段から本屋さんの洋書コーナーなんかはチェックしてるので「海外のハイカルチャー誌」と言われたら「ああ、なんかわかる」という確信があって。「スケッチー」のレイアウトは、バリエーションを出して探ったりせず「これで」と決め打ちで出した案がほぼそのまま通ってるんです。
──では別案みたいなものは用意してなかった?
迷ったとしたらロゴですね。ハイカルチャーの雑誌っぽい欧文のロゴというのはどういうものだろうと思って、何案か出して先方に選んでもらいました。そのとき提案したのが、この4パターン。
それぞれベースとなってるのは既成のフォントなんですが、ちょっとアクセントが出るよう手を加えています。海外のハイカルチャー誌って、一見シンプルなんだけどちょっと「おっ」と思わせる仕掛けがなされてるイメージがあって。左から2番目の「c」は一部を丸に変えたり、4番目の「y」は1画目と2画目を切り離してみたり、アレンジされているのがわかりやすいと思います。一番左のは、スケートボードっぽさを出すならゴシック体もありかと思って出してみたもの。右にずらっと並んでるのは、4案に絞る前にいろいろ試していたときの、本当の意味でのボツ案ですね。
──欧文ロゴに添えてある、このカタカナの「スケッチー」という字は。
これは僕の手書きなんですけど……僕は自他ともに認める悪筆でして。前にトークイベントで、サインくださいっていう人がいたんですよ。そのとき横にいたデザイナーの名久井直子さんにも「この人すごい字が下手だからやめといたほうがいいよ(笑)」なんて言われて……そうやって、知ってる人は止めるくらいの字なわけ。それでもいいっていうから書いたんだけど、あまりのひどさに相手の方もちょっと引くぐらい(笑)。それがあったので、次からはサインを求められたらハンコを捺すようになりました。それぐらい自分の字にはコンプレックスがあったんですけど。
──欧文のロゴだけでも成立するなかで、手書きを入れてみようと思ったのは?
んー……すべて活字にしてしまうと、整頓化されすぎてしまうかなと思って。ハイカルチャー誌の洗練された感じを意識すると、かなりクリーンなイメージになる。狙い通りといえばそうなんですが、スケートボードのマンガということを考えたときに、少しラフな感じが入るとかわいげがあるなと思って。
──ストリートカルチャーとの接点を持たせたかった。
それもあるし、タイトル、著者名、巻数っていう少ない要素では画面に強弱が付けられなかったんですよね。パーツの大きさに差を付けてバランスを取るとマンガ的になってしまうし。だったら手書き文字みたいな、まったく異質の要素を1つ入れることが結果的に一番画面の整理に繋がるんじゃないかと思ったんです。
──マンガ的になってしまう、というのは。
今のマンガ装丁を見ていると、パーツの大小の付け方がすごく極端なんですよね。裁ち落としぐらいまで目一杯紙面を使って、文字の端は切っちゃうとか。とにかく画面を埋めようっていう感覚。それと、要素を「外へ外へ」やろうとしている感じもする。四角い紙面の中で、端に端に寄せていくデザインになってる。だったら「スケッチー」ではなるべく中心に要素を寄せて、どれぐらいまで真ん中に寄せられるか試そうと思ったのが、このレイアウトを思いついたきっかけですね。
──本コラム「あのマンガの装丁の話」の第1回にご登場いただいた内古閑智之さんは、「スケッチー」の装丁を「この10年くらいの情報過多の傾向にあったコミックデザインの流れへの気持ちのいいカウンター」とおっしゃっていました。そういう、マンガ装丁の決まった型から抜け出そうという意識が、大島さんの中にあったということですね。
マンガ業界の中にいない僕が「カウンター」とか言うのは、本当おこがましいんですが。ほかと差別化を図りたいという編集者さんの意図は汲みたかったので、その期待に応えるならって、けっこうロジカルに出した案ではありますね。僕、普段は本屋さんのコミック売り場にあまり近づかないんですよ。マンガの装丁は本当にすばらしい仕事をする人がたくさんいて、打ちのめされてしまうので。けど今日のインタビューに向けて、このあいだ偵察に行ってきたんです。そこでほかの本と一緒に「スケッチー」が並んでいるのを見たら「やべ、内側に詰めすぎたかも知れない」「特にこの上の余白は空きすぎだ」と我に返ってしまい、少し焦りましたね。
──(笑)。でも、それだけほかのものと差別化ができていたということですよね。
そうですね。あと本を探していて驚いたのが、いまだに女性向けと男性向けでコーナーを分けているところ。「スケッチー」はヤンマガKCという講談社の青年レーベルから出ているので、男性コーナーを探していたんですが見つからなくて。
──女性コーナーに置かれていたと。
男性向けのKCコミックコーナーがありつつ、この作品だけさらに区分けされているわけですよ。「これは……」と思ってしまいましたね。さっきの撹拌の話に繋がりますが、マキ先生がこのマンガに込めてる戦いっていうのはかなり深いなって。本屋さんでマンガ1つ探す中でも思いましたね。
「大島依提亜だ」と気づかれない仕事をするのが理想
──普段やられている映画関連のデザインとマンガ装丁のお仕事で、大きな違いなどはありますか?
紙選びとか特殊加工で個性を出すっていうのが、映画パンフレットなんかではまず選択肢の1つにあがるんですが。そういう飛び道具に頼らず、ちゃんとデザインで勝負するっていう気概をやっぱりマンガのブックデザインからはすごく感じますね。
──例えばですが、紙も好きに選んでいいし穴を開けてもいいしみたいな。なんでも好きにやっていいと言われてたら、「スケッチー」はもっと別の装丁になっていたと思います?
そうじゃなくてよかった気がしますね。なんでもしていいとなったらたぶんやっちゃってたと思うんですけど、予算などの縛りがある中で作ったからこそ、結果的に作品の顔になるようないいものが作れたっていう意識は多分にあるので。制約があるというのは、そんなに悪いことだけじゃないと思います。造本で遊ぶあまり、デザインの主張が強くなっちゃっても意味がない。デザインそのものより、映画だったら映画本編のほうが絶対えらいし、マンガだったらマンガ本編のほうがえらいんだから。
──仕事の中で自分の色を出したい、みたいな気持ちはないんでしょうか?
まったくないですね。むしろアノニマスな感じを目指しているというか……「型がある」デザインみたいなのは、なるべく避けています。映画もマンガも、なんでもそうですけど、それぞれ作品ごとに引き立てるべき部分というのは全然違うじゃないですか。いろんなお話もあるし、ジャンルもある。その都度、戦略を立てたい。なので「これ大島依提亜だ」って気付かれないようなデザインをするのが理想。
──今回の「スケッチー」がまさにそれでした。マンガのデザインを大島さんがしている、という意外性も含めて。
一番「この仕事をしててよかった」と思うのは、いろいろなものに首を突っ込めることですよ。美術だったり音楽だったり、映画だったり、あんまりやってないけどマンガだったり。
──じゃあ今後もマンガの仕事が来たら積極的にやっていきたい?
チャレンジしたいですね。でも今日のインタビュー内容を振り返ると、依頼が来るかは怪しいな。「この人に頼むとマンガ本っぽくない仕上がりになるんでしょう?」って(笑)。
大島依提亜が選ぶ「装丁が好きなマンガ本」
肋骨凹介「宙に参る」(装丁:コードデザインスタジオ)
「宙に参る」の装丁はまさに、マンガのデザインに対していつも感じている「すばらしいなあ」という仕事が詰まった好例。キャラクター紹介をする図解的な線の使い方など、アクロバティックなことをすごくきれいにやってみせているし、ロゴタイプもすごく上手。作字って、それ単体ですごく出来がいいやつを作っても、案外ビジュアルにハマらなかったりする。それをいかにうまくなじませるかが腕の見せどころでもあるんですが、その調整が抜群だし、なおかつロゴ自体がすごく出来がいいっていう。憧れちゃいますね。
シマ・シンヤ「ロスト・ラッド・ロンドン」(装丁:ツノッチデザイン)
海外文学の日本版的なアプローチもすごく素敵なんですが、僕がもっとも惹かれたのは背表紙。全3巻を並べたときの色の切り替えしが、すごくきれい。本屋さんで棚差しの本を眺めているときストライプ状に並んだ「ロスト・ラッド・ロンドン」が目に留まって、非常にカッコよかった。そういう少ない情報量でも「おっ」と思わせるというところで「背表紙大事ッ」と痛感させられました。
斎藤潤一郎「死都調布 ミステリーアメリカ」(装丁:鈴木哲夫)
80年代的なちょっと古い感じを踏襲しつつ、アメリカンコミック的な要素もあって。カバーなしで板紙を露出する造本の面白さもあり、箱みたいなルックも目を引く。全体に「なんだこれ」って感じがして、最高(笑)。一体何を見せられてんだろうっていう、すごいインパクトです。
ダニエル・クロウズ「ペイシェンス」(装丁:カレラ)
これは番外編的な感じになっちゃうかもなんだけど、僕が普段やってる仕事のお手本みたいな1冊としてぜひ紹介させてもらいたいです。海外のマンガを日本語に置き換えるローカライズの問題っていうのは、映画仕事における「洋画の日本版をそのままのビジュアルを使って構成する」という作業と酷似していて。デザインの意匠がかなり限られた中で、どう置き換えていくかっていう問題に対して、これは正解を出しているなと感心しました。英語のルールをそのまま踏襲するんじゃなく、雰囲気だけをエッセンスとして生かしてカタカナに変換し、元のビジュアルと違和感なく同居させている。痺れますね。
大島依提亜(オオシマイデア)
栃木県生まれ。映画のポスターやパンフレットなどを中心に手がけているデザイナー。デザインを手がけた映画作品に「ミッドサマー」「万引き家族」「ラストナイト・イン・ソーホー」など。そのほか「宇野亞喜良 画集 Kaleidoscope」のブックデザイン、「谷川俊太郎展」の空間演出も含めた宣伝デザインなど多岐にわたるジャンルで活躍している。