ヤマザキマリ「オリンピア・キュクロス」第2巻の発売を記念したトークショーとサイン本のお渡し会が、去る12月20日に東京・紀伊國屋書店新宿本店にて開催された。
「オリンピア・キュクロス」は類まれなる運動神経を持つものの、争いごとが嫌いで周囲から草食系オタクと揶揄される古代ギリシャの壺絵師・デメトリオスを主人公にした、古今の“オリンピック”が舞台のSFコメディ。気付くとオリンピックの開催に沸く1964年の東京にタイムスリップしてしまったデメトリオスが、古代ギリシャと東京を行き来しながら、さまざまな学びを得ていく姿が描かれる。
グランドジャンプ(集英社)で連載をすることになった経緯についてヤマザキは、「担当編集さんとは、私が『テルマエ・ロマエ』でイタリア・ルッカのコミックフェスティバルに招聘された際にお会いしたんです。『テルマエ・ロマエ』の担当だった強面の編集さんがずっとそばにいたのでほかの編集者の方に近寄られることはなかったんですが(笑)、たまたまエレベーターで2人だけになったときに『ヤマザキさん、いつかうちでも(描いてください)!』と言われて。それがもう今から7年くらい前のことですかね」と回想。2014年に行われたソチオリンピックの時期には本作の構想が生まれていたことを明かし「オリンピックの式典って莫大なお金がかかっていて、大変な経済が動いていますよね。でもギリシャで行われていた元々のオリンピックって、何もない原っぱを走っているような感じで今とはまったく違ったんですよ。現代のオリンピックの会場に古代ギリシャ人が来たらめちゃくちゃ驚くだろうし、そんな比較文化論をマンガでできたらいいなと思ったんです」と作品の成り立ちを説明する。
オリンピックを題材にしている一方で、運動は好きではないというヤマザキ。「イタリアで長く暮らしていますけど、サッカーもW杯以外は観ないです。イタリア人ってみんなサッカーを観ているイメージがありますけど、あれは嘘ですよ」と笑いながら、「でも『みんながなんでこんなにスポーツが好きなんだろう』とか『ニュースを含め、日本ではなぜこんなにメディアでもスポーツネタをやるんだろう』とかすごく気になって。私は(好きではなくても)どうしても気になることをマンガの中で掘り下げ、分析していきたいという性質の人間なんです。スティーブ・ジョブズのマンガを描いたときも、ジョブズの本を読めば読むほどムカつく奴でまったく好きじゃなかったんです(笑)。でもそういう人間こそマンガにしなきゃいけなくて、描いているうちに面白くなる。苦手だったものに強いシンパシーが湧くようになる。今回運動を取り上げたのもまったく同じ動機です」と熱弁する。
主人公のデメトリオスを草食系オタクの壺絵師にしたことについて、「アスリートじゃ感情移入できないからダメなんです。オタクの人ばっかり描いてきたから変なオタクを描きたかった」としながら、「古代ギリシャの生活風習だったり流行みたいな記録って、すべて壺絵に残っていて当時を考証する上でとても重要なものなんですね。それは今で言うとマンガに似ていて、もし我々の文明が一度滅んだら、マンガがありとあらゆることを伝えてくれると思うんです。だから壺絵に熱意がある青年というキャラクターだと(感情移入できて)描きやすかった」と説明。また本作の今後の展開についてヤマザキは、打ち合わせ時に担当編集から「デメトリオスが王様の手助けをしていく感じになるんですかね」と問われたとしながら、「それだと『テルマエ・ロマエ』の展開とまんま同じになってしまう」と一蹴したという。「テルマエ・ロマエ」と同じ展開を描かない理由として「『テルマエ・ロマエ』で舞台になっていた古代ローマは、法律を整えた国で法が人々を動かす力になっていたんです。でもギリシャで人を動かしていたのは哲学で、思考すること、教養・知性を身につけることで人間は自らをコントロールしていくっていう考えを持っていた。人々が支えにしている概念が違ったので、経済大国として幅を利かせていた古代ローマが舞台の『テルマエ・ロマエ』と同じになってしまってはダメなんです」と述べた。
トークショーの後半では単行本第2巻に収録されているエピソードの話題に。第2巻にはデメトリオスに影響を与える実在の人物として、手塚治虫とマラソン選手の円谷幸吉が登場する。第2巻の大事なテーマとして「マンガ」を挙げたヤマザキは「創成期のマンガ文化が子供たちにどういう力を与えていたのかを描きたかったんです」と解説し、「悩んでいるデメトリオスに、道を示してくれる人物として、マンガ家・手塚治虫先生を描きました。手塚先生は『一流のマンガを描きたければ、マンガからマンガを学ぶな』とおっしゃいましたが、それはマンガだけではなく、すべてに対して言えることだと思うんです。デメトリオスで言えば壺絵だけを描いていてはダメだし、(才能を持っている)運動とも向き合わなければならない。それぞれの相乗効果から生まれるものがあるということを描いています」とコメントする。
さらに1964年の東京オリンピックの男子マラソンで銅メダルを獲得したものの、その後自殺を選んでしまった円谷幸吉について、ヤマザキは「絶対に描かなきゃいけないと思った」と心情を明かし、「1964年当時、オリンピックは楽しい運動というよりは国威の象徴となっていて、1人の選手が大きなプレッシャーを抱えながら背負って立っていました。円谷さんがお亡くなりになったのはひとつの象徴的な出来事だと思う」と思いを吐露する。手塚や円谷の登場話が掲載された後、取材をした手塚や円谷の親族から「まるで本人がしゃべっているようだ」との伝言をもらったというエピソードを担当編集が話すと、ヤマザキは「私は霊感は無いけど、憑依されやすいのかも(笑)。(『プリニウス』共著の)とり・みきからは“巫女マンガ家”なんて言われますけど、(実在の人物を)描いていると『本当はこういうことを言い残したかったのかもしれない』って感じることが出てきて、そういう言葉を(マンガの中で)補わなきゃいけない必然性みたいなものが生まれるんです。昔の歴史家はある事ない事あれこれ平気で書き残していますけど、それに近いかも」と語った。