押見修造原作による映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」のイベント「映画を観て考える〈吃音〉との向き合いかた シンポジウム付き特別試写会」が、去る7月3日に東京大学にて開催された。主催は学生吃音サークル・東京大学スタタリング。
イベントではまず映画本編が上映され、その後シンポジウムへと移行。シンポジウムには原作者である押見と、東京大学スタタリングの代表・山田舜也、「どもる体」「目の見えない人は世界をどう見ているのか」などの著書を持つ東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授・伊藤亜紗、映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の吃音監修を務めた国立成育医療研究センター耳鼻咽頭科医師・富里周太の4名が参加し、さまざまな意見を交わした。
最初に映画の感想を聞かれた押見は、「原作者としては非常にうれしい仕上がりの映画だと思いました。役者さんたちの演技も生々しくて、どもるときの力の入り方とか、まるで自分を見ているような気分でした」とコメント。伊藤は「吃音と映画は相性がいいことを発見しました」と切り出し、「吃音って言葉で伝えるよりも、身体を通して伝わるものがある。映像だと体にフォーカスが当たるので、それが映画向きだと思いました」と私見を述べた。
この日壇上に上がった4名は、いずれも吃音症の当事者。司会者からは、劇中の志乃と同じ思春期の頃、自分の吃音に対してどう感じていたかという質問も投げかけられた。押見が吃音の症状を自覚し始めたのは中学2年生の頃だったというが、「自分で調べようとは思わなかったし、誰にも相談しなかった。自分で見て見ぬフリをしていました」と当時を回顧。また「このマンガは、そうやってしまいこんでいた自分のことを描いた作品です。ですから取材もしていませんし、自分の感じたことを赤裸々に描いています」と話した。
山田は「僕は悩んでいたと思います」と切り出し、「思春期は発達の段階で“羞恥”を強く意識するようになるので、人との付き合いが難しくなる」「志乃ちゃんが今後、恥ずかしいという感情とどう付き合っていくのか。映画を拝見して、その後が気になりました」とコメント。押見はそれに対して「宣伝のようで恐縮ですが……」と応じ、「志乃ちゃんのその後は、映画のムック本に続編を描いたので、そちらが答えになるかもしれません」と紹介した。
医師である富里は、吃音の子供を持つ親がどんな悩みを抱えて来院しているかを聞かれると、「親が責任を感じてしまっているケースが多いです。そういう方は『育て方が悪かったんじゃないか』などとおっしゃられますが、それは違うというのが(研究で)明らかになってきています。そうじゃないよ、と伝えることがまず大事かなと思っています」と回答。親としてどういうサポートができるかについては、「“病気があるから治す”という立場になってしまうと、ギクシャクしがちかなと思います。(お子さんも)年齢によって捉え方が変わっていきますから、抑圧はせず、なるべくオープンに、一緒に向き合ってあげるのがいいと思います」と話した。
一方で押見は、作中で志乃の担任教師が「緊張してるのかな?」「リラ~ックス」などと声をかける一連の流れについて、「実体験ではないけれど、これをされたら嫌だ、こんな先生は嫌だというものを描いた」と明かす。司会から「では、どう接してほしかったか」を尋ねられると、「僕はなるべく触れられたくなかった。先生と予め信頼関係が築けていれば別ですけど、いきなり突っ込まれても逃げ出したくなるだけですね」と思いを巡らした。大学で教鞭をとる立場の伊藤は、ある講義でたまたま吃音の話をしたら、受講者の中にいた吃音症の学生が積極的に発言をするようになったという自身の体験をトーク。富里もそれに「どもってもいいんだ、と思える環境に置かれると、どもらずに話せる人が多い」と頷く。山田は「人によってどうされたいかは差があるので、あまり一般化はしないで、あくまで個人として接して欲しい」と述べた。
シンポジウムの中では、劇中に登場する「魔法」というオリジナル曲の歌詞についても言及が。押見はこれを「加代が志乃の気持ちを代弁して、昇華した歌」と解説。続けて押見は、「志乃は“(みんなと同じようにしゃべれる)魔法”を欲しがっている。だけど加代は、『そんな魔法はいらないよ』って言ってくれるわけです。そんなことを言ってもらえたら、僕ならうれしい」と曲に込めた思いを語る。富里はこの“魔法”を、病院を訪ねてくる人々が求める薬や治療法に重ね、「皆さん魔法があると思って来られるんですけど、まずは魔法がないってことを、受け入れることから始めてもらわなければならないんです」とコメント。伊藤が「魔法がなくても、生きていかなければいけない。物語は終わるけれど、彼女の人生は続いていくというのが印象的だった」と話すと、押見がそれを受け、「(この作品は)乗り越える話ではなく、受け入れる話。そのまま人生は続いていくんだということを描いたので、そういった感想は非常にうれしい」と笑顔を見せた。
シンポジウム終盤には来場者から、映画のラストシーンが原作と異なることについて、押見へ質問が。押見は「いろんな考え方ができるラストですけど、本質的には同じことを描いていると思う」と切り出し、「マンガは志乃の物語として描いたけれど、映画では加代と菊池にもスポットが当たった3人の物語になった」と持論を展開。吃音に悩む志乃だけでなく、音痴な加代、コミュニケーションを取るのが苦手な菊池と、多様なコンプレックスの形が描かれていることに触れる。最後に司会者から寄せられた「どんな人に観てほしいか」という質問に、押見は「“自分が嫌いだ”と一度でも思ったことがある人」と答えた。
映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は7月14日より、新宿武蔵野館ほかにて公開。同作はうまく言葉が話せない少女・志乃と、音楽好きだが音痴な同級生・加代という、コンプレックスから目を背けてきた2人が、互いに手を取り小さな一歩を踏み出すまでを描く青春劇だ。映画では大島志乃役を南沙良が、岡崎加代役を蒔田彩珠が務める。
(c)押見修造/太田出版 (c)2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会