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手塚治虫文化賞、児島青は「本なら売るほど」で箱庭を飛び出す 父を懐かしむ手塚るみ子

朝日新聞社が主催する第30回手塚治虫文化賞の贈呈式が、本日6月11日に東京・有楽町朝日ホールで開催された。第30回では児島青の「本なら売るほど」がマンガ大賞を受賞。新生賞には「怪獣を解剖する」のサイトウマド、短編賞にはかわじろうの「あたらしいともだち かわじろう短編集」、特別賞には「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」の武田一義が選出された。

第30回は、若いエネルギーが溢れる受賞結果に

贈呈式では、まず朝日新聞社代表取締役会長の中村史郎氏が主催者の挨拶として受賞作を紹介した。続く来賓祝辞では、手塚治虫文化財団代表理事であり手塚治虫の長男・手塚眞氏が登壇。手塚治虫がマンガを描き始めた頃、作品に文学性を入れながらも親しみやすい絵柄でユーモアを忘れずに描いていたことを振り返る。そして今回選出された作品にも同じ遺伝子を感じたそうで「ここには間違いなく手塚治虫の精神が継承されて、息づいている」と称えた。深い内容を親しみやすく描いた受賞作について「これが日本のマンガの力だというふうに思います」笑顔を見せる。また手塚治虫文化賞30回という節目に際し、今後も続ける意欲を見せ「(マンガ家たちに)ただのマンガじゃない、これが日本の文化、これが日本の力なんだということを、世界に示していっていただきたい」と述べた。

中条省平氏からは選考についての報告が行われた。中条氏はいつも選考委員が五十音順で、一押しの作品について話すのだと説明しつつ、今年は委員で一番最初に発表するはずの秋本治が車の渋滞で遅れたため、里中満智子から発表が行われたと暴露し笑いを誘う。代わりにトップバッターを務めた里中が「本なら売るほど」を「本と人との関わりを、楽しく爽やかに読ませてくれる」と絶賛した後、遅れてきた秋本と、次いで発表した高橋みなみも同作を推薦したと明かし、3人を“連合軍”と表現してまた会場は笑いに包まれた。傑作が出揃う中で議論が行われ、最終的に「面白さ、人間描写の素晴らしさ、ささやかだけれど高い志、そういうものに共感した」として、大賞は満場一致で「本なら売るほど」に決定したという。

新生賞は「怪獣を解剖する」に多くの票が集まった。同作については、南信長が「2025年の新人の作品で一番面白かった」と断言したという。またお仕事マンガとして労働問題を扱っていることや、怪獣が日本を襲う災害のメタファーである点に注目する一方で、エンタテインメントとしての完成度が高いことが評価されたと話した。短編賞の「あたらしいともだち かわじろう短編集」は、各短編のクオリティの高さや読後感のよさが高評価となった。山口晃「趣都」、いがらしみきお「人間一生図巻」も有力候補となる中、「あたらしいともだち」と「人間一生図巻」の支持者がどちらも譲らず、決選投票により「あたらしいともだち」に決定したというエピソードを披露した。また中条氏は今回の受賞者が全員、新鋭と呼べる若い作家であるとして、「マンガというメディアに、まだまだ若い創造的なエネルギーがしっかりとあるなと改めて思いました」と若いエネルギーへの感動を伝えた。

箱庭から飛び出して行った「本なら売るほど」

贈呈式では児島が自身について、幼少期から1人で絵を描いたり本を読んだりするのが好きだったと語り、「誰にも立ち入らせない自分だけの箱庭の中で遊びながら、気づけば大人になった」と振り返る。コロナ禍に現在の担当編集から声をかけられてマンガ家の道を歩みはじめたことから「箱庭の外観につながるドアを編集者さんが開けてくれた」と感じたそうで、「そのドアから読者の方々が箱庭を見物にやってきてくれるようになって、その先に今回の受賞という大きな驚きがありました」と受賞について述べた。現在の心境は「できることといえば、もうただ描くことしかないんだという清々しい諦観のようなものもまた覚えております」とコメント。最後に「本なら売るほど」は全国の古書店や書店員とともに受賞した賞だとして、賞金は「本屋さんで本を買って還元したい」と笑顔を見せる。そして書店は出会いや冒険、喜びや悲しみがある場所で、どうしたらいいかわからないときの避難所でもあると言い、「本を買うあてがなくても行っていいんです。むしろ、あてもなく本屋さんに行けるというのが一番幸せなことではないでしょうか」と観客に呼びかけた。

サイトウは、瀬戸大橋の橋脚の1つが与島という島にあると話しはじめる。サイトウは過疎化が進むその島の盆踊りを見に行ったそうで、廃校になった学校の校庭に櫓を組んで、その周りを人々がゆったりと踊っていたことを回想。そんな慎ましやかな光景のむこう側に、巨大な瀬戸大橋が鎮座し、光る車がその上を通り過ぎていく景色を見た際の心境について「それがどこかちょっと暴力的だったり、シュールだったり、でもちょっと美しくもあるような風景で。ちょっと怪獣映画みたいだなって」と言葉を紡ぐ。そして巨大なものを作り上げた人間や、その下で人間の営みが続いていることのすごさを感じたと言い、「それは連載が終わった後に見た風景だったんですけど、『怪獣を解剖する』は、こういうことも言っているマンガだったのかな」と続ける。執筆しながらも「怪獣ってなんだろう」と問い続けていたサイトウは、受賞に際し改めて気づきを得たのだと伝えた。最後にはちゃっかり明日発売の月刊コミックビーム7月号(KADOKAWA)で始まる新連載「やってくる」を告知して笑いを誘いつつ、怪獣に次ぐテーマは幽霊だとアピールした。

かわじろうはカッパのお面を付けて登場。挨拶早々に「ふざけたかっこうで出てきてしまって申し訳ありません。素顔も大体こういう感じなんで」と続け、観客からは笑いが起こる。かわじろうは幼い頃マンガ家に憧れながらも、成長するにつれ、面白いものや大きなテーマのマンガを描こうと意識しすぎたことから迷走し、だんだんとマンガを描かなくなってしまったのだと言う。大人になり、ふとマンガを描いてみたいと思ったことからマンガ教室に通ったそうで「短編を描いては人に見せているうちに、マンガというのは何かすごいものを描くのではなくて、そもそも自分が表現したいと思ったことが、読んだ人に伝わるという、そのこと自体がものすごく面白いことなんじゃないかと思うようになりました」と話す。そして創作で迷ったときにはほかの作家の作品からヒントを得ていると述べ、「先人たちが新しく作ってきた表現方法だったり、記号の意味だったり、そういうものに自分も何か小さなものでもいいから、新しいものを持ち込みたいなという気概でこれからもマンガを描いていきたいと思っています」と締めくくった。

武田は「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」執筆のきっかけを、「突然強い感情がそのときにあったんです」と明かし、なぜ自然にそう思えたかという理由を、手塚治虫をはじめとした、武田が幼少から触れてきた多くのマンガ家が戦争を描いたからだと分析。「ペリリュー」が“戦争を知らない世代のマンガ家が描いた戦争マンガ”と紹介されることに触れ、「今後描かれる戦争っていうのは、自分と同じように……そうでなくては困るんですけども、戦争を知らない世代の方々が同じように描きつないでいくものなんだろうなというふうに思います」と今後を見据える。また映画も含め、子供が作品に触れる機会もあると説明し、「今度は自分が影響を与えて、こういう子供たちが、将来何かのきっかけで自分も戦争マンガを描いてみようかなと思うことができたら、この『ペリリュー』という作品は本当に成功したと言えるのかなって思っています」とコメントした。

手塚治虫の長女・手塚るみ子氏が父を懐かしむ

贈呈式後のトークイベントには、手塚の長女・手塚るみ子氏、選考委員のトミヤマユキコ氏、矢部太郎、ガリットチュウ・福島善成が“毛塚治虫先生”として登場。用意された手塚治虫のようなベレー帽を被って、手塚治虫についてのトークを展開した。

まずは手塚治虫クイズと題したコーナーがスタート。好きな食べ物を問う問題には、福島が「ヒョウタンツギ」と冗談を交えつつ、シーチキンのおにぎりを挙げた。答えとして映し出されたイラストには、トミヤマと矢部が回答したラーメンを含むたくさんの料理が描かれていたが、るみ子氏はチョコレートとビフテキに注目。甘いものが大好きでチョコレートなしにマンガを描けないといわれていたことや、時代的にも肉を喜んで食べていたというエピソードを披露する。逆に手塚治虫の苦手なものが問題になると、矢部が「確定申告」、福島が「我王の鼻のぶつぶつ」とボケる中、るみ子氏は正解を蜘蛛だと明かす。手塚治虫は昆虫好きながら、昔蜘蛛の巣に顔を突っ込んでしまい、襲われたのがトラウマで蜘蛛が苦手なのだとか。家の庭で蜘蛛の巣ができやすいポイントを通るときは、棒を持って蜘蛛の巣を払いながら通るのだと回想した。3問目の「大切にしていたもの」という問題には、一同が家族などと答える中、答えはベレー帽とメガネとチョコレートの“三種の神器”。メガネとベレー帽はあちこちに忘れてきてしまうことから、たくさん所持していたのだそう。るみ子氏は「家族じゃないんかい」と内心つっこんだそうだが、後から思い出したかのように「子供」とも描かれていたと語った。

手塚治虫がどんな人物だったかと聞かれたるみ子氏は、「子供を怒れない父親でした。私も兄も怒られた記憶があまりないです」と回答。好きなことはやらせてくれて、手伝ってくれることもあったのだという。読者に子供が多かったことから、何かを伝える際にガミガミと頭ごなしに怒るより、優しく丁寧にするほうがよいと考えていたのではと推測した。

また父としての手塚治虫との触れ合いについて尋ねられると、マンガが優先だったため一緒に過ごす時間は多くなかったと振り返る。しかし優先順位は低いながらも、夏は旅行に行ったり、誕生日やクリスマスには外食に行ったりと、短くも濃い時間を過ごしたと懐かしんだ。夫婦間では喧嘩もあったものの、支え続けた妻の悦子氏を「できた女房」と日記に書いていたとのこと。またイタズラ好きな一面として、手塚治虫がトイレの前に黒いかりんとうを置いて驚かせたという思い出話をすると会場は笑いに包まれた。

2028年11月3日に生誕100年を迎える手塚治虫。最後には2027年11月から1年間をティザー、2028年11月から1年間をアニバーサリーの本番、また2029年11月から1年間をアフターとしてさまざまな企画を展開することが発表された。またるみ子氏は展覧会や映像企画などの話も上がっていると話し、観客の期待を煽った。

描くということにブレーキをかけることはない

授賞式・トークイベント終了後には、メディアの前にサイトウと武田、るみ子氏、トミヤマ氏、矢部、毛塚こと福島が登場。武田は授賞式のスピーチを振り返り「(マンガ家になりたいという)最初の衝動みたいなものを、改めて今日思い出させてもらった」と目を輝かせる。また戦争をテーマに描くことについて「(戦争を)経験していないからといって、描くっていうことに自分がブレーキをかけることはないかなと思ってやってます」と回答。サイトウは怪獣が戦争のメタファーなのかと問われ、「怪獣映画は作られた時代に日本人が潜在的に持っている恐怖を象徴している」という評論を見たと前置きし、「私が描くなら、やっぱり一番震災っていうものが出てしまった」と言う。自身は被災者ではないとしつつも「経験者ではなくても残った資料を調査してイメージするとか、そういうことがすごい大事な気がしている」と力を込めて伝えた。

矢部はトークイベント後、毛塚に扮した福島に対し、るみ子氏が「父も身長がこれぐらいだったんです」と言って、並んで「懐かしい」と口にしたのだと明かす。微笑ましい雰囲気の中、福島は「(モノマネをしている自分が)こんな場所に呼ばれると思ってなかったです」と述べると、るみ子氏は「一旦会社で『大丈夫ですか』とは聞きました」と返して一同は爆笑した。トミヤマ氏と矢部は、選考の傾向について尋ねられる。序盤は純粋に面白い作品を挙げつつ、作品を絞り込む段階では、トミヤマ氏も矢部も手塚治虫のヒューマニズムを意識しながら作品を選ぶのだと説明。最近では“手塚イズム”を受け継ぎつつ、これをきっかけに作品を知ってもらえるような、背中を押してあげられるような作品を選ぶ傾向にあると見解を示した。るみ子氏は今回、パフォーマンス的なトークを展開したと言い、それは次世代に手塚治虫を知ってもらうためだと続ける。「『手塚治虫』って名前だけじゃない、マンガだけじゃない、人間としてちゃんと生きていたんですよと、こんなキャラクターだったんですよって」と、作品だけでなく人物を語り継いでいく重要さを熱弁した。