どのマンガもすごい! ──とはいえ、マンガ好きなら誰しも、心の中に“自分だけの特別な作品”を持っているはず。このコラムでは、人一倍マンガを読んできたであろう人々に、とりわけ思い入れのある、語りたい作品を選んで紹介してもらうことで、読者にまだ知らないかもしれない名作マンガとの出会いを届けている。第10回では、会社員として働きながら商業マンガ家としても活躍しているピエール手塚に、柴田ヨクサルの「谷仮面」、そして「エアマスター」について綴ってもらった。
文 / ピエール手塚
谷くんの表情は誰にもわからない。だけど、読者にはよくわかる
皆さんは「やっぱり愛だな」と思いますか? 僕は思います。なぜなら「谷仮面」を読んだからです。
10代の頃は、ラブソングが苦手でした。愛だの恋だのを素晴らしいものとして歌うことについて、何か空虚な感じがしていて、そんなことよりももっと大事な世界の真実があるように思っていたからです。つまり中二病です。その時点の自分のわずかな経験と、そこで生じた感情を世界のすべてだと思い込んでいて、それ以外のもののことの意味がよくわかっていませんでした。
40代になった今は、「やっぱり愛だな」と思っています。その理由の1つは「谷仮面」を読んだからです。皆さんは「谷仮面」を読んでいますか? もし読んでいないのなら、「愛だな」と思っていますか? 思っていないなら、一度「谷仮面」を読んでみてください。
「谷仮面」は柴田ヨクサル先生のマンガで、主人公は高校生の谷くんです。谷くんは仮面をかぶっています。谷くんは同じ学校の島さんのことが大好きです。そういうマンガです。
谷くんの表情は誰にもわかりません。なぜなら仮面をかぶっているからです。その下の顔が笑っているのか? 怒っているのか? 泣いているのか? 誰にもわかりません。しかし、読者は谷くんのことがとてもよくわかります。それは谷くんの言葉が、動きが、行動が、すべて過剰に谷くんという存在を思う存分にわからせてくれるからです。
谷くんは島さんが好きです。だから島さんに好かれたいと思っています。谷くんは変な奴です。超人的な身体能力を持ち、ケンカをしてもめちゃくちゃ強く、そして、島さん以外には興味がありません。
谷くんは傍若無人です。他人の目なんてないかのように自由奔放に生活しています。そんな中で唯一気にする他人が島さんです。谷くんは島さんに好かれたい。嫌われてしまうのが怖い。だから自分で考えたやり方で島さんに気に入られたいとがんばって、空回りし、空回りしているうちにアマレスの試合に出たり、不良の抗争に巻き込まれたりしてしまいます。
谷くんを見ていて気持ちいいのは「嘘がないこと」です。自分に素直に振る舞っていて、変な奴だけど信じたいと思ってしまいます。きっと島さんもそうなのでしょう。変だけどまっすぐに自分を好きだと言ってくれる谷くんのことを、自分のピンチに一直線で助けに来てくれる谷くんのことを好きになります。
学生時代の僕は、心に仮面をかぶっていた
急に僕の話に戻りますが、僕は谷くんと違って仮面をかぶらない学生生活を送ってきたんですけど、でも、心には仮面をかぶっていたように思います。思い返すと、小学生の頃は谷くんのように素直な感情表現をしていたように思うのですが、中学生に差し掛かる頃ぐらいに、自分の感情を人に知られるのが恥ずかしいと思うようになってしまいました。
喜んでいるときに喜んでいるんだねと言われたり、怒っているときに怒っているんだねと言われるのがなぜかとても恥ずかしくなり、恥ずかしすぎて感情を押し殺すようになったと思います。何があってもポーカーフェイスをキープして流すようになり、動揺する姿を見せないように心がけ、その結果、「なんだかよくわからない奴」に成り果ててしまいました。
これはおそらく他人に自分がどう見られるか?というストレスに耐えられず、他人に情報を与えなければそのストレスが最小化するはずという、他人の自分への目線をコントロールしたいけど、できないから、せめて情報を絞ってしまおうとする当時の自分の戦略だったと思います。
まさに中二病真っ盛りという感じですね。僕が思うに、中二病とは「自分の中にあった価値観と、世間の価値観がずれていることに気づくか気づかないかのタイミング」のことで、今まで自分の中でカッコいいと思っていたことがカッコ悪いことになるかならないかの最後の時期のことだと思います。
僕は早めに世間と自分とのズレは感じていて、だからカッコ悪いことをやめたいと思って自分を押し殺そうとしたのですが、でもそれもまた別の種類の中二病な気もします。「感情を見せないほうがカッコ悪くないはずだ」と思っていたという、ズレがあった感じだったと思います。
人間が他人を信じるには、その相手の言葉や態度に嘘がないと思うことが必要だと思います。そこでの感情の押し殺しは他人から見れば不審の温床であって、人間関係を取り結ぶうえでは不利になることです。僕は人間関係を学ぶべき時期に自分の感情を押し殺そうとしすぎて、適切な感情表現を学ぶ機会を逸していまい、大人になってから、うれしいときにうれしいと表現する練習や、怒っているときに怒っていることをする練習をするはめになってしまいました。
今となっては自分のかわいい話だなと思うのですが、もっと素直なほうがよかった、谷くんみたいに変でも素直に生きていくことのよさがあったはずだなと思います。
やっぱり愛なんじゃないか?
「谷仮面」を連載で読んでいた中高生ぐらいの頃は、同族嫌悪というか、谷くんの恥ずかしさに恥ずかしいと思っていた部分もあったと思うんですけど、次作の「エアマスター」がアニメ化するぐらいの時期に出た「谷仮面完全版」のタイミングで全巻読み直したとき、当時の自分のひねくれが正されたというか、これなんだよなと思ったというか、谷くんと島さんが不良校統一の戦いの中で、そんなことそっちのけで本当にまっすぐにお互いへの好意を表現する場面で、本当に感動したんですよね。
自分に足りなかったのはこういう素直さで、他人に向けて素直に感情を表現できることで、自分ではそこまでそれを取り逃してきたけれど、「やっぱり愛なんじゃないか??」と思いました。
物語の最後、谷くんの仮面は割れてしまいます。それによってそれまで最強だった谷くんは、自分の周りの世界のことが怖くなってしまいます。本が大好きな少年だった谷くんはある日に仮面をかぶり、最強になります。それは他人の目を気にしなくなれたことで、自分を自由にできたということでしょう。でも、一生そのままでいることはできません。
僕は中学生ぐらいの頃にその時期が来て、受け身が取れずにひねくれてしまったのですが、谷くんは高校生になって仮面が割れてやっと来たそのタイミングに、そばに島さんがいてくれたおかげでまっすぐなままでいられました。
僕が、素直が一番と思えるようになったのは20代も半ばでしたが、全然遅くないなと思っていて、そこから軌道修正をがんばったことで今はそこそこ素直に生きており、日々「愛だな~」などと思っています。
心が挫けそうなとき、何度も「エアマスター」を手に取った
ここで「谷仮面」で僕のひねくれが治った話は終わりなのですが、「エアマスター」の話をちょっと出したので、「エアマスター」の話をしてもいいですか? すみません。したいんです。
「エアマスター」はストリートファイターのマンガで、元体操選手の相川摩季が、身長が伸びすぎて体操選手の夢を諦めた後、その類まれなる空中感覚と、格闘家の父親譲りの大きな身体を使ってストリートファイトにのめり込んでいくお話です。
「エアマスター」は最初から最後まで面白いんですけど、終盤にこれまで出てきたストリートファイターたちを廃墟に集めてバトルロイヤルを行う話があります。ここで発生する「深道クエスト編」というのが本当に好きで、会社員として不慣れなことに取り組みながら、心が挫けそうなときに、「深道クエスト編」を読み直しては元気になっていたという時期があります。
びっくりすることに、「深道クエスト編」を読み直すと、どんなメンタルの状態でも元気になるんです。マジでみんな試してみてほしい。何かを失敗してしまったとき、うまくできなくて落ち込んだとき、何かを成功させるプレッシャーで押しつぶされそうなとき、いつも自宅に「エアマスター」があってよかったと僕は思ってきました。
説明をします!「深道クエスト編」は、過去の凄腕格闘家たちの魂をその身に宿した最強の存在である渺茫(びょうぼう)に、数々の強敵を倒してきたエアマスターすら倒されてしまった後に始まるエピソードです。そこで戦うのはすでに一度敗北をした者たち、そして、このバトルロイヤルとその元になったストリートファイターのランキング、深道ランキングを主催していた深道(兄)です。(兄)と書いたのは(弟)がいるからです。
そもそも深道ランキングは、深道(兄)が自分たちの世代で渺茫を倒してみたいと思ったことから始まったランキングでした。廃墟に集めたストリートファイターたちをぶつけることで渺茫には敗れたものの最高のカタルシスが発生し、一旦の終結を迎えます。
しかし、まだ終わっていない。まだくすぶっている。まだ戦ってない男もいる。それが深道(兄)です。
深道(兄)は、ダメージが浅くまだ戦える者たちを集めます。敗残兵を集めて、今一度渺茫に立ち向かいます。それこそが深道クエストです。
避けられない攻撃を前に、飛び出た言葉
深道(兄)は戦える男ですが、最強ではありません。敗残兵たちも強くはありますが、作中の強者たちと比べればランクも低く見劣りします。そんな奴らが、そんな奴らで最強を倒そうとするのです。
当然、1人ひとりには勝ち目はありません。渺茫に挑み、そして敗れていきます。しかし、派手に敗れていきます。自分の人生そのものをぶつけるように、その生き方すべてを表現しきるように戦う姿は、見る者のボルテージを上げていきます。その見る者とは残された敗残兵たちであり、深道(兄)であり、読者です。
クールな現代忍者の尾形は、除霊という異能によって渺茫に挑みますが、その巨大な力に紙屑のようにやられてしまいます。尾形は叫びます、「たのむぞーっ! たのぶぞーっ! ブガびヂぃーっ!」。感情を抑制し、クールに戦っていた尾形が、全身全霊をもってして、最後に残った深道(兄)にバトンを渡します。
深道(兄)は世界に絶望をしていた男でした。人間は死ぬのに生まれてくる。そのシステムの中の一部でしかない自分には生きる意味があるのかと思って生きていました。しかし、見つけた面白いものが渺茫です。世界に絶望していた深道(兄)が、唯一心躍らされた渺茫が今目の前にいます。敗れ去っていった多くのストリートファイターの姿を見届けた深道(兄)は、その槍の最先端です。彼はその身を渺茫に刺さなければなりません。
深道(兄)の天才的な頭脳は、当たれば一撃でやられるような渺茫の攻撃を避け続けます。さながらRPGのラスボス戦のように、巨大なHPを持つ渺茫を長時間かけて少しずつ削っていきます。常に100点を出さなければならない戦いです。一度でも失敗すればそれでゲームオーバー。そんなギリギリの緊張の中を深道(兄)は戦い続けます。
しかし、その時は来ました。どうしようもなく避けられない攻撃を前にして、この一撃を食らえばそれだけで戦闘不能になることがわかりきった中で、深道(兄)は叫びました。
「金次郎のように力強くっ!!!!!」
北枝金次郎は、すでに敗れたストリートファイターです。黒正義誠意連合の総長でありながら、何度も敗北してしまい、皆口由紀には「弱いわ」と言い切られてしまいます。ちなみに皆口由紀は、「谷仮面」の主要登場人物なので、その変化も確認してください。彼女も「愛だな」と思ったのに、自分は愛が手に入らず、どんどん狂気に飲まれてしまいます。
弱いと断じられ、何度も敗北した金次郎は、強くなるためにそれまで持っていたすべてを捨てます。改造スーツを着てシズナマンとなり、装甲で身を守りながらアマレスも習ってそれまでの戦闘スタイルへのこだわりを捨て、強くなるためにすべてを捨てた男なんです。
しかし、バトルロイヤルの中で、エアマスターの父、佐伯四郎に装甲を紙屑のように破壊されながら敗北します。しかし、すべてを捨ててまで強くなろうとしたのに敗北した金次郎に、彼をシズナマンにしたシズナは最後に秘密兵器を残していました。それは黒正義誠意連合のハチマキです。捨てたはずの金次郎のプライドそのものです。そのハチマキを締めた金次郎は、絶対に勝てないレベル差のある渺茫に立ち向かっていきました。
渺茫の防御力は金次郎の攻撃をものともしません。攻撃は金次郎にとっての致命傷になる打撃です。しかし、金次郎は止まりません。絶対に勝てない戦いに最後に残ったプライドだけを武器に、攻撃を続け、それは渺茫に畏怖をもたらします。
この物語には、人間が元気よく生きるために必要なすべてがある
深道(兄)が見習ったのはそんな男です。渺茫の一撃を深道(兄)の腕力では止められるはずがありません。当然両腕の骨はバキバキに折れ、しかし、それを止めきります。そして叫ぶのは……
「長戸のように 超激情!!!!!!」
噛みつき技使いの長戸のように、折れた両腕の代わりに渺茫の首筋に噛みつきます。
何があってもクールだった男が、表に出ず後ろで謀略を巡らせていたような男が、類まれなる頭脳で賢く戦っていた男が、止められるはずのない攻撃を止め、たとえ無様なやり方だったとしても、攻撃を続けます。なぜなら、渺茫を倒すという人生の目的があるからです。それを動かす原動力はプライドです。プライドとは自分が自分であるために曲げてはならない最後のものです。
どうですか?? めちゃくちゃよくないですか? 元気が出てきませんか??
一度敗北しようが何も終わってなんかいないわけです。カッコいいやり方になんかこだわっていないわけです。自分の曲げられないものが1つあって、それを使って目的のためだけに人生を駆け抜ける。そんな様子を見ていたら、自分の中のエンジンの回転数も上がってきませんか??
深道(兄)は結局敗北します。渺茫を追い詰めた結果、暴走を招いたからです。それでも深道(兄)は人生を全力で駆け抜けました。その様子を見ていたエアマスターが再び立ち上がります。読者である僕も立ち上がりますよ! 日々の会社の仕事でいろいろな嫌なことがあったときに、この部分を何度も読み返して、次の日もがんばろうと思って、思い続けてここまで生きてきています。
もし「エアマスター」を未読ならこの先の物語の結末は自分で見届けてください。既読なら読み返してください。この物語には、人間が元気よく生きるために必要なすべてがあります。
なんの話をしてましたっけ?「やっぱり愛」「人生は楽しい」ですかね。「谷仮面」と「エアマスター」を読んで皆さんもぜひそれを確認してください。