アニメーターの井上俊之がゲストを招いて作画に関するトークを繰り広げるイベント「井上俊之の作画殿堂」の第2回が、去る10月26日に東京・シネマシティのシネマ・ツーにて開催。ゲストとして「マインド・ゲーム」「犬王」などの監督で知られる湯浅政明が登壇した。
世の中はそんなに簡単にはわからない
イベント当日、シネマシティでは「マインド・ゲーム」も上映されており、同日に劇場で鑑賞したという井上。「大好きな作品。DVDも持っています」と作品愛を口にし、「当時も驚いたんですが、いい意味で”非常識”な作品。型にはまらず、アニメーションの常識からはかなり逸脱している。これを作った監督の勇気にも、意思にも才能にも本当に驚く。その思いを新たにしました」と称賛した。
井上が「マインド・ゲーム」においての回想やカーチェイスのシーンなどの長さに言及すると、湯浅は「(クジラの中からの)脱出シーンが長いとかよく言われるんですけど、特に自分は長いと思っていなくて(笑)。現場は楽しく作っていた」と思い返す。井上は「仮に僕が現場に居たら『湯浅さん大丈夫? 長すぎて観客が置いてぼりにならない?』っていう心配をしたんじゃないかと思う」と話すと、湯浅は「観客が置いてけぼりになるかどうかはわからないですけど、映画の1時間半の中でわかるように1人の主人公を描くっていうのは、僕は反対で。世の中ってそういうふうじゃないと思っているので、世の中と同じように、いろんな人に理由がある、というのを描きたい」と説明。「素晴らしい」と感嘆した井上が「僕は偏った人間なので、あまり物語性に惹かれない部分があるんです。好きになるのは、映像作品として面白いものが多い」と語ると、湯浅は「“わかりやすい”というのがすごく嫌。『90分でわかるものを作りましょう』と脚本の方は言うんだけど、90分でわかることなんてないと思うんです。世の中は、そんなに簡単にはわからない。だからそんなにわかりやすい映画にしたくない。人のことを1時間半でわかろうと思うなよ、と思う」と意見した。
「マインド・ゲーム」で長編アニメーションの監督としてデビューして以降、これまでにも模索を続けながらアニメを作り続けてきたという湯浅。井上は24年前に行った湯浅との対談を振り返り、「そのときは『天才だ、天才だ』と言って持ち上げすぎて嫌がられたのですが(笑)、湯浅さんが過去のことを詳しく語っている本を読んで、天才扱いしすぎたことを反省したんです。若手時代に努力をされた結果だということを知らずに“持って生まれた才能だけでやっている”という人のような扱いをしてしまい、当時は内心不本意だったと思うんです」と告白。「僕がいくら努力しても湯浅さんのような作品は僕には作れないと思うし、それは湯浅さんにしかないものだと思う」と改めて湯浅を称えた。
湯浅政明は日本のアニメ界のタランティーノ
また井上は「『マインド・ゲーム』はもっと日本で受け入れられるべきだし、クエンティン・タランティーノばりに評価されたっていい。(湯浅は)日本のアニメ界のタランティーノのよう」と表現。続けて湯浅作品の好きなところとして「シリアスなシーンに突然挟まるセリフの面白さ」に言及し、「湯浅さんの監督作品で好きなのが『クレヨンしんちゃん』の(ぶりぶりざえもんが主役の)スピンオフと『マインド・ゲーム』なんです。セリフのセンスも含めて、本当に面白くて」と、作中に登場するセリフの数々を挙げていった。
「井上俊之の作画殿堂」というイベントタイトルに合わせ、モデレーターの高瀬康司から「マインド・ゲーム」の作画について問われた井上は「カーチェイスのシーンが見どころ」であることに触れながら、「水の描写が特に印象的でした。型通りのアニメ的な表現にしたくないということがよく表れている」とコメント。またトーク中、湯浅が「(井上に作品制作を一緒に)やってほしいですけどね。ずっと誘ってはいるんですけど」と声をかけると、井上が「次回は参加したい」と口にし、観客から拍手が送られる一幕もあった。
理想の制作システムについて語り合う
さらに話題はアニメの制作システムについて発展。近年の制作現場ではレイアウト時に、各アニメーターが原画に近い絵を描くことが常態化していると話す井上。湯浅はある作品のオープニングの絵コンテ・演出を手がけた際について「(アニメーターの)みんなが原画みたいな感じで描いてきて。『これ原画じゃないの?』と聞いたら、ラフ原(ラフ原画)だと言うんです。そこまできれいな線で描かれていると、修正の指示を出しても最初の線を引きずっていて、みんな中々直らないんですよ。『ここはこうですよね』というやりとりをして、やっと(お互いの中に)8割以上の共通意識が生まれるので、そのやりとりがほしい」と回想する。井上は「その工程が“レイアウト”だったにもかかわらず、今はレイアウトのときに本番カット(原画)が上がってくるに等しい状態になっている。大事な工程が失われたまま作業をしているので、(演出の意図と)違った場合はリテイクになる」と説明。「うまい人とやっても、結局は赤の他人同士なので、完全なイメージの共有はできない。その差を最小限にするための工程として、従来の“レイアウト”は絶対に必要。原画が上がってしまってからでは修正は難しい」と補足する。
湯浅も「最初からそう描けるように打ち合わせをしてほしいとも言われるんですけど、こちらから決まったことを押し付けてしまうと、自分だったら絶対つまらないなと思うんですよね。一原(第一原画)は好きに描けて楽しいというのはあると思うんですけど、レイアウトシステムでも、逆に楽しくやってもらおうと思ってるんです。レイアウトでも一度、自由が与えられるんです」と解説。井上も「絵コンテにもないし、作画打ち合わせでも言われていないけど、『こんな芝居を入れてみたら、このカットはもっと面白くなるんじゃないか?』という提案をして、『面白いけどこれはちょっと違うかな』『こうだったらいいかな』というやりとりをして、カットを膨らませるという余地もある」と可能性を想像し、湯浅も「そうすると作品が膨らんでいくし、作品の持っていた幅や流れを満たしながら、作品がどんどん豊かになっていく。そんなやりとりをしながら(作品づくりを)やりたい」と理想の制作システムについて語り合った。
また「分業が進んだ結果、第一原画と第二原画を描くアニメーターが違うことが普通になっている」と語る井上に対し、湯浅は「工場のように大量生産するには、そうやってセクションを分けたほうがいいと思うんですけど、セクションがつながっていたほうが、作品の内容が作りやすいと思うんです。そこが近年一番気になっているところ。“みんなで一緒に作っている感”がないなと思いますね」と印象を述べる。それを受けて、井上は「レイアウトラフを描いた人と、第二原画を描く人が違うというのは重大な問題。作画打ち合わせに参加していない、そのカットの意図することが何かという説明を受けてない人が第二原画を担当することが常態化していて、これは本当によくないことだと思います」と危機感を声にした。
(c)Inoue Toshiyuki 2024 (c)Merca 2024