TARAKOお別れ会に声優仲間ら800人、まる子ファミリーが率いてポンポコリンを大合唱

「TARAちゃん ありがとうの会 ~たいせつなきみへ~」に設けられた祭壇。

声優・TARAKOのお別れ会「TARAちゃん ありがとうの会 ~たいせつなきみへ~」が、本日6月15日に東京・TFT ホール 1000で行われた。

800人以上の声優仲間や関係者が式典に

1990年1月7日のアニメ「ちびまる子ちゃん」初回放送から34年間にわたり、まる子役を担当してきたTARAKO。今年に入ってから病と闘いながら仕事を続けていたが、3月4日に63歳でこの世を去った。本日のお別れ会は一般のファンも参列可能。一般のファンが来場する前に行われた式典には、声優仲間や作品関係者など800人以上が出席した。

祭壇は「ちびまる子ちゃん」の美術監督を務める野村可南子がデザインを考案。アーティストとしても活動していたTARAKOが花畑の中でギターを奏で、彼女の演じたキャラクターたちがその音を楽しんでいるかのような世界観が表現されている。遺影の隣に添えられた黄色いギターは本人愛用のもの。遺影にあしらわれたピンクのリボンは、中央で踊るまる子とお揃いだ。祭壇を彩る花々は、TARAKOの元気で明るいイメージからオレンジ色を中心にまとめられた。

「ちびまる子ちゃん」初代プロデューサー・清水賢治の弔辞

式典では参列者を代表し、親交の深い4人がTARAKOとの思い出を語っていく。1人目は「ちびまる子ちゃん」の初代プロデューサー・清水賢治。清水は「ちびまる子ちゃん」の立ち上げ当初、こんなにも長く続く番組になるとは誰も想像していなかったと切り出す。社内の試写会では「あんなに捻くれた子供はいない」という厳しい意見が多かったそうだが、清水は「子供はかわいいだけというのはおかしい。子供にも人格があるのだから、欲もあれば見栄もあり、嘘もつけば人情や義理だってそれなりに感じる1人の人間である。それを素直に描き出したのが『ちびまる子ちゃん』だ」と考えていたそう。いざ放送が始まり、「ちびまる子ちゃん」はやがて子供から大人まで幅広く愛される作品に。日本のTVアニメにおいて最高視聴率39.9%という記録はいまだ抜かれていないとのことだが、清水はその功績をTARAKOのおかげだと称える。座長として笑顔を絶やさず、いつも現場を明るくし、まるで1つの家族のような雰囲気を作っていたと彼女の姿を思い返した。

「それいけ!アンパンマン」などで共演した中尾隆聖の弔辞

2人目は声優として数々の作品でTARAKOと共演し、舞台活動でも親交を深めた中尾隆聖。中尾がばいきんまん役を務めるアニメ「それいけ!アンパンマン」で、TARAKOはフランケンロボくんというキャラクターを演じていた。中尾は「フランケンロボは、ばいきんまんが作った子供のような役。ばいきんまんを『パパー、パパー!』と言ってね、いつも愛らしくって、私も大好きなキャラでした。先日も街中で『パパー!』という声が聞こえて、思わず振り向いてしまったら、子供がびっくりして本物のパパのところに走っていきました。そのときに、『ここにタラちゃんがいたらな』とつくづく思いました」と話す。TARAKOはお酒の席が大好きだったとのことで、中尾は「私もすぐそちらに行きますんでね。そしたらまた美味しいワインを、美味しい食べ物を、そしてお芝居の話をしたいと思っています。待っててくださいね」と約束した。

長年にわたり舞台をともに作り上げた木原実の弔辞

3人目は「news every.」のお天気キャスターとして知られる木原実。木原はTARAKOを中心とした演劇ユニット・WAKUにキャストとして参加し、長年にわたり一緒に舞台を作り上げていた。2013年からTARAKOは「news every.」内のショートアニメ「みんなだいすきそらジロー」にそらジロー、くもジロー、ぽつリンの3役で出演。そのときのことを木原は「狭いブースに2人きりだったから、WAKUの芝居のことや最近観たお芝居のこと、お互いの暮らしのこと、他愛のない話で笑ったね」と振り返る。木原が言うには、テレビの仕事と舞台を両立させるのは難しく、稽古時間がほかの出演者より少なかったり、本番でも入り時間が開演直前になるということもあったそう。木原は「そんな悪条件にも関わらず、タラちゃんはどの作品でもとても素敵な役を僕に書いてくれました。WAKUで出会った素晴らしい俳優の皆さん、タラちゃんがいなかったら、僕はとっくに芝居を離れていたことでしょう」と感謝し、TARAKOは役者としてだけでなく脚本家や演出家としても天才だったと賞賛した。

「ちびまる子ちゃん」のナレーション・キートン山田の弔辞

最後は「ちびまる子ちゃん」のナレーションを務めたキートン山田。山田は「最後にメールでやりとりしたのは去年の12月、タラちゃんの誕生日でした。何十年もメールを交換してきたのに、そのときは一番文章が短くて、いつも絵文字がいっぱいなのに1つもなくて。ハートマークも1個もなく、異変を感じました。でも『なんかあったの?』って聞く勇気もなかった。それから2カ月半、知らせを受けたのがその日でした。狼狽えました。気がつけば、庭で雑草を抜きながら『なんでだ、なんでだよ』って言ってました」と心の揺れ動きを正直に明かす。最後はよく聞き馴染みのある声色で「まる子よ、順番が違うだろ。友蔵が先である。後半へ続く。じゃあね」と締め括った。

アニメ「みかん絵日記」原作者・安孫子三和からの追悼メッセージ

また式典では、TARAKOが主人公を演じ、1992年に放送されたTVアニメ「みかん絵日記」の原作者・安孫子三和からのメッセージが読まれる一幕も。安孫子は「TARAKOさんとはアニメ『みかん絵日記』で知り合い、以前から読者だったと伝えてくださったのがうれしくって照れました。深く読み込んでくださっていて、エンディング曲『おじいさんへのおてがみ』も作詞して歌ってくれてうれしかったです。まさに、という歌詞で聞くたびに涙が出ました」と綴り、早すぎる死を悲しみながらも出会えてよかったと感謝した。

最後はみんなで「おどるポンポコリン」を大合唱

最後には参列者全員で「おどるポンポコリン」を歌うことに。祭壇の前には、さくら家のキャストら「ちびまる子ちゃん」ファミリーが呼び込まれる。友蔵役の島田敏が「タラちゃんや、本当に本当にお疲れ様でした! タラちゃんや、見守ってておくれー!」と、ひろし役の屋良有作が「タラちゃん、頼んだよ。そしてたくさんたくさんありがとうな」とTARAKOに呼びかけると、「ピーヒャラピーヒャラ」とおなじみの軽快なメロディが流れ始める。会場一体となって曲に合わせて手拍子を鳴らし、体を揺らしながら笑顔で歌う者もいれば、涙をこらえながら口ずさむ者も。TARAKOからまる子役を引き継いだ菊池こころもハンカチで目元を拭いながら歌う。元気で明るく、いつも周りを優しく気遣っていたというTARAKOの人柄を表すように、温かな雰囲気で式典は幕を閉じた。

式典の後には囲み取材も

式典の後には、一部の参列者が囲み取材に応じた。式典で弔辞を読んだ木原や、爆チュー問題として「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマ「アララの呪文」を歌い、声優として劇中にも出演した爆笑問題と、TARAKOとはX(旧Twitter)で相互フォローの関係でDMし合っていたという太田光代が記者の前に現れ、TARAKOとの思い出をそれぞれ述べていく。

「ちびまる子ちゃん」ファミリーから語られる座長の姿

「ちびまる子ちゃん」ファミリーからは屋良と島田、姉・さきこ役の豊嶋真千子、おばあちゃん・こたけ役の佐々木優子、元ナレーターの山田が5人が登場。TARAKOとのアフレコでの思い出を聞かれると、屋良は「座長として心配りできる方。若い方が入ってきても気さくに声をかけて和やかにしてくれる」と答える。佐々木は「タラちゃんと言ったら、お誕生日のお祝いが大好き。『誰々の誕生日だから歌いましょ』ってリードしてくれて、ハッピーバースデーを歌うのが定番。全キャスト・全スタッフの誕生日を覚えていて、毎月のように歌ってました」と振り返る。

水谷優子の後任として、2016年からお姉ちゃん役を務めることになった豊嶋。「いつもTARAKOさんはVTRを見ながら『いやあ、もう楽しいね、楽しいね!』って言いながらやっていて。私は2代目でお姉ちゃんになったので最初はすごくドキドキしてたんですけど、TARAKOさんのあったかい空気に包まれて、のびのびやることができました。こんなにアフレコを楽しんでやってる人と一緒にスタジオの中で姉妹として過ごすことができて、本当に本当にかけがえのない素敵な時間だったなと思ってます」と涙を堪えながら語る。

「ちびまる子ちゃん」ではときどき、まる子と友蔵が一緒に歌うシーンがあることも。歌に関しては割と自由に任されていたそうで、島田は「『タラちゃん、どうする?』って言うと、『敏さんに任せます!』と。私が下手くそな歌を歌うんですが、なんたって向こうはミュージシャンですからね。本当にうまく合わせてくださって、きれいにできちゃう。そんな思いを何度もしました。タラちゃん、ブラボーですよ!」と言い、隣の山田が「友蔵がブラボーって言ってるよ。英語しゃべれるんだね」と茶々を入れる。また一同は記者に求められ、役になりきってTARAKOに一言ずつ言葉を贈った。

山寺宏一が1人の声優としてTARAKOに思うこと

続いて記者の前に現れた山寺宏一は、TARAKOとの関係を「ずいぶん長いお付き合い。タラちゃんは1個上だけど同世代で、『タラちゃん』『山ちゃん』と呼び合おうと。WAKUの舞台にも一度出させていただきました」と説明。自分が出演していなくても舞台の案内をもらって観に行ったり、LINEでときどき連絡を取り合ったりしていたと続ける。山寺は「今日いろんな方がおっしゃってましたが、『ちびまる子ちゃん』という作品はタラちゃん(がまる子役)でなかったらこんなふうに日本中、世界中に愛されるアニメーションにはならなかったんじゃないかな」とコメント。「声優は作品のごく一部を担当しているわけで、本当にその人じゃなきゃダメなんていう作品はそうそうないと思ってます。僕もたくさんのキャラクターをやらせていただきましたが、僕じゃなくたって、才能のある声優がたくさんいますし、ほかの誰かがやったって作品がよければヒットして皆さんに愛される作品になるだろうってどこかで思ってたんです。もちろん大切な仕事ではありますけど、声優のおかげでってことはそうそうないって、そうなりたいけどそれは難しいだろうと。でもタラちゃんのまる子は、本当にタラちゃんじゃなければって心から思う。それってすごいことだなっていつも感じてました」としみじみ述べる。

また山寺からは、2019年に「ちびまる子ちゃん」に山寺がゲスト声優として出演した際のエピソードも。「何年か前に念願叶って『ちびまる子ちゃん』に出させていただくことになったら、タラちゃんが『出てほしかったー!』と本当に喜んでくれて。アフレコがけっこう早い時間に終わったら『飲みに行こう。みんないつも飲みに行ってるから』と。このへんに飲み屋なんてあまりないけどと言ったら、『ファミレスがあるよ』って。なんと、ファミレス飲みをしました(笑)。僕もそこそこの年齢だったし、あまりファミレスで夕方から飲むってないですけど、タラちゃんが言うならって。みんなで飲んで、かなり長い時間居座って、もう楽しくて楽しくて。そんなことも覚えています」と懐かしむ。記者からTARAKOに言いたいことはと聞かれると、「もっともっと話をしたかった。声優の話、芝居の話。できればそうですね……もう1度、タラちゃんの舞台に出られたらよかったと思います」と後悔を口にしながらも、最後は「ありがとう」の言葉に尽きると声を詰まらせながら語った。