中丸雄一のデビュー単行本「山田君のざわめく時間」が、1月23日に発売された。40歳を迎えた中丸が、幼い頃からの「マンガ家になる」という夢を叶えた本作について、コミックナタリーでは全3回にわたって特集。完結編となる本記事では、1月28日に都内で行われた単行本発売記念会見を踏まえながら、その後実施された独占インタビューをお届け。マンガ家としては「ようやくスタートライン」と話す中丸の思い描く、さらなる夢を追いかける。
取材・文 / 片平芙蓉 撮影 / 曽我美芽 スタイリスト / 河原歩 メイク/ 豊福浩一・KOICHI TOYOFUKU
ラブレターへの返答
連載第2回では、3年以上にわたって中丸に伴走してきた担当編集・助宗佑美氏と、「山田君のざわめく時間」が連載されたマンガ誌、月刊アフタヌーン編集長・金井暁氏のインタビューを実施。未知の業界に裸一貫で挑む中丸の姿をそばで見てきた2人からは、その努力やマンガに対する真摯な姿勢に対する、惜しみない称賛が語られた。まさに「ラブレター」のような内容だったと筆者が話すと、中丸は相好を崩し、インタビューを読んだ感想を教えてくれた。
「編集長からのコメントは直接聞いてないこともあったので、『そう思っていたんだなぁ』と、答え合わせみたいな気持ちで読みました。終始笑みがこぼれましたね(笑)。しっかり多方面から取材してもらって、すごく楽しく読ませていただきました」
「山田君のざわめく時間」は、平凡な会社員の山田雄一(おいち)が日々のちょっとした出来事に「ざわめいて」しまう様子にフォーカスしたショートコメディ。1話10ページという構成で、アフタヌーンでの全6回の短期集中連載を経て、大量の描き下ろしを加えて単行本化された。中丸自身の言葉で説明すると、「人に相談するほどでもないような小さな不満とか社会に対する違和感を、主人公・山田が勝手にもんもんと心の中で解決していく作品」。
例えば「マッサージ店でおしりを揉んでもらうにはなんて言えば?」「都市伝説好きの友達を受け流すベストな対応は?」「初恋の人と再会してワンチャン狙うには?」など、身近に起こる小さな事件……はたから見ればなんでもないようなことだが「本人にとっては重大な事態」に七転八倒する山田のアタフタっぷりが醍醐味だ。
筆者が大好きな話がある。単行本の最終話となる「山田君、ざわめかない帰宅後ルーティン(episode 14)」だ。社会人1年目の山田が、会社で摩耗する日々の癒やしとして、帰宅後にダイナミックなおうち時間を過ごす、という内容だ。家に着くやいなや半裸になり、手洗い後の石鹸の香りに歓喜の雄叫びをあげ、クッションに顔を埋めて「スマホのバッテリー劣化してきたー!」と大声でわめく。ひと言で言うと、「自分だけが知っている、毎日やってる恥ずかしいこと」の実況中継。中丸と姿が重なるような山田の完全プライベートタイムの暴露であり、誰にも知られたくないことを描いたときほど、創作物としての強度が増すことを実感するようなエピソードだった。個人的には、この1話でマンガ家・中丸雄一が「一皮むけたのでは」と感じたことを伝えると、これまた満面の笑みで答えてくれた。
「あの話は確かにほかと比べると異質で、最後のほうまで単行本に入れるか入れないか、入れるならどこに入れるのか、という話はしていました。ただ、山田=100%僕、ではないんですけどね(笑)」
中丸の言うとおり、「山田君」はフィクションだ。だが同時に、随所にノンフィクションを感じさせる仕掛けが施されている作品でもあり、作者と主人公を重ねて想像力をたくましくするのもまた楽しい。山田の友人で、アイドルファンである斉藤が、妙に詳しいアイドル論を展開する「山田君、友達がアイドルファンでざわめく(episode 3)」「山田君、友達のオーディション挑戦にざわめく(episode 7)」も、中丸いわく「四半世紀にわたるアイドル業界のアドバンテージ」を活かして描かれた、アイドル歴20数年の中丸にしか描けない味わい深いお話だ。こんなバラエティ豊かな「ざわめき」が、1冊にまとまっている。
マンガになった「教科書の落書き」
中丸がアフタヌーンの連載会議に向けて、大量のネームを用意した話は連載Vol.2に詳しいが、単行本に収録する作品は、ある基準で厳選していた。
「単行本に入れたのは、僕の中ではどれも渾身の話です。ただ1作目の単行本ということもあって、いろんなパターンのものを入れたつもりです。どういったものが受けるのかは蓋を開けてみないとわからないので、それを知るためにもいろんなテイストのものを収録しました」
その中でも、中丸自身が「特別な気持ちが入っている」と語るのは「山田君、勇者になってざわめく(episode 12)」。この1話のみファンタジー色を強く感じさせる作品で、勇者になった山田が魔王を倒す旅に出るが、天邪鬼な山田はことごとくセオリーに反発して……というお話。短期集中連載の最終回を飾った作品であり、そこには、小学生時代の中丸の思いが深く関わっていた。
「もともとマンガ家になろうと思ったのは小学生とか中学生の頃。そのとき抱いた夢にもう1回火を点けて、今回に至ったわけです。で、僕が小学生の頃に本当に描きたかったのって、実はこういうテイストのマンガなんですよね。勇者が出てきて異世界で魔王を倒す、みたいな。当時、そういうイラストを好きで描いていて、教科書にまで落書きしていた。それが20年後、30年後に世に出るのは、不思議な感じですよね」
芸能人になったから、マンガ家にもなれた
第一線で芸能活動をしながら、単行本として世に流通するレベルのマンガを完成させる。並のガッツではなかなか完遂できないヘビーな3年間。芸能活動の「隙間時間」を活用したと言うが、「気を許すと、メンタル的にも大変だったので、よく乗り越えたなと思います」、そしてこのがんばりは「明らかに、経験値になった」と語る。
「完成させるのって大変じゃないですか。今回、本になるまでの道筋も経験できたので、ひと言で言うと自信になりましたね」
今や、中丸雄一は芸能人であり、マンガ家である。では、もし芸能人になっていなかったら、専業のマンガ家になっていたのだろうか? こう思うのは、あるファンがつぶやいていたことが印象に残っていたからだ。「中丸くんはある意味、芸能人ではなかった人生をひとつ具現化したのかもしれない」。本人に疑問をぶつけてみた。
「芸能人になっていなかったら……そうですね、マンガ家でもなく、全然別の職業に就いていたんじゃないですかね。芸能の世界にいると、決まったことを毎日やるわけではないし、ほかの職種に比べるとクリエイティブな能力が求められる。かつ、自分自身が商品なわけです。自分をどう鍛えていくのかにすべてがかかっていて、全部自分次第というのは、芸能界特有なのかもしれない。だから、芸能界にいたからこそ、マンガ家になる夢も叶えられたんじゃないかと思います」
次々とマンガの欲が
人生とは不思議なものだ。芸能の世界で自分を磨き、精進することが、幼い頃の夢=マンガ家になることにつながった。初単行本がリリースされ、今後「マンガ家・中丸雄一」はどうなっていくのかと聞いたところ、少なくとも「山田君」シリーズで2巻、3巻は目指したいと言う。
「ようやくシリーズの道筋ができたと思う。ストックはまだあるので、あと2冊ぐらいは出したい。質量的には、今後シリーズ展開していくことが可能だと思うんです。今回の経験で画力や構成力が少しは成長したと思うので、これまでは1話10ページで描いていたのを、20ページや30ページで1話という長さのものにもトライしたい。そして、いつか自分の技術が身についたら、一度ボツになったSFものにも挑戦したいですね」
できあがった単行本を見て、マンガ家としてのスキルにも新たに欲が出てきた。
「まず、キャラクターのさらなる描き分けができるようになりたいです。これまで、“ちょっと劇画チックでリアルな山田”と、“ポップで可愛い山田”の2種類を描き分けていました。今後はもっと画力を向上させて、リアルなキャラはもっといろんな角度から描いたり、ポップなほうはさらにかわいらしいシルエットで描けるようになりたい。今はまだ、自分が求める表現に画力が追いついていないことも多いので、それを克服できたらいいですね。今の自分に足りないのはそのへんだと思います」
渇望は止まらない。マンガ好きや、マンガ家に「もっと認められたい」。
「基本、みんな優しいんです。本を出せたことがめでたいと言ってもらえて、よく描けてる、とは言ってくれる。とはいえまだ自分は“毛の生えた素人”だと思うので、もっとうまく描けるようになりたい。それができたら、せっかくなら多くの人に見てほしいし、将来的には有名な作品を生み出すことができたらいいなと思います」
以前のインタビューで、担当編集の助宗氏は「作り手として視野を広げるため、単行本が出たときこそマンガを100個くらい読んだほうがいい」と言っていた。その言葉どおり、現在、助宗から中丸には「課題図書」が与えられたそうだ。
「ゆっくりですけど、読んで勉強しています。マンガを描く前とは見方が完全に変わって、こういう描き方、こういう言い回しがあるんだ!と、作る側の視点で読んでいます」
3年の月日を重ねて完成した単行本で、マンガ家としては「ようやくスタートライン」だと語る。どうかこれから、無限の可能性を秘めたマンガというフィールドでも、私たちに見たことのない景色を見せてほしい。