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アニメスタジオクロニクル No.8 MAPPA 大塚学(代表取締役)

アニメ制作会社の社長やスタッフに、自社の歴史やこれまで手がけてきた作品について語ってもらう連載「アニメスタジオクロニクル」。多くの制作会社がひしめく現在のアニメ業界で、各社がどんな意図のもとで誕生し、いかにして独自性を磨いてきたのか。会社を代表する人物に、自身の経験とともに社の歴史を振り返ってもらうことで、各社の個性や強み、特色などに迫る。第8回に登場してもらったのは、MAPPAの大塚学氏。創業12年ながら、短期間でアニメファンなら誰もがその名を知るアニメスタジオへと登り詰めたMAPPAの成長の理由、それにはアニメの制作会社としてだけでなく企業としての飽くなき向上心があった。

取材・文 / はるのおと 撮影 / 武田真和

トップクラスのアニメスタジオが参加するレースに乗る

この秋だけでも「呪術廻戦」「懐玉・玉折/渋谷事変」や「『進撃の巨人』The Final Season完結編(後編)」といったビッグタイトルが放送され、映画「アリスとテレスのまぼろし工場」も公開中のMAPPA。アニメファンなら誰もが知るスタジオだが、同社はわずか12年前の2011年に、マッドハウスを退社したアニメプロデューサーの丸山正雄氏が設立した会社だ。

「もともと、MAPPAは丸山が制作したい作品があって作られた会社です。その1つが『この世界の片隅に』ですが、その頃、丸山は『ノイタミナ』枠で『坂道のアポロン』をアニメ化するという企画も持っていました。その『坂道のアポロン』の渡辺信一郎監督から『制作をやらないか』と僕に声がかかったんです。それまで僕はSTUDIO4℃という劇場アニメが中心のスタジオにいたのですが、自分の制作者としての能力を上げるために、TVシリーズを経験したいと思っていて。しかも当時の『ノイタミナ』は大人が観るアニメの最前線として勢いがあったので興味がありました。そういったタイミングが重なり、僕は『坂道のアポロン』をきっかけにMAPPAの立ち上げから参加することになったんです。

MAPPAに入って早々に、丸山が僕の自由にやらせてくれたのはありがたかったです。具体的には会社経営の部分で、4℃のときは作品単体のことしか考えていませんでしたが、MAPPAではアニメスタジオを経営するためにはどういうふうにお金を集め、どう働くのがいいかといったことに興味を持って取り組み始めたんです。『社長になりたい』とは考えていませんでしたが、プロデューサーとして作品を制作する際に会社の数字を把握したうえで臨むようになりました」

そんな大塚氏が、2016年の丸山氏の会長就任に伴ってMAPPAの2代目社長となる。そのときに大塚氏が抱いていた思いは、現在も変わらない飽くなき向上心だった。

「スタジオ経営に関するいろいろな数字がわかってきて、僕の興味の対象は『アニメを作る会社で、企業として存続し、どこまで成長できるか』になっていました。だから2016年に丸山から社長をやらないかと言われ、引き受けたときにまず『生き残る。そして、創り続ける。』ということを考えました。

それはアニメ業界という小さな枠の中ではなく、いち企業としての話です。そのために自分たちが何をするべきか考えると、まず必要だったのは生産性を上げること。京都アニメーションさんやufotableさんのクオリティに短期間で追いつくのはなかなか難しいし、20年や30年かけてそこまで辿り着こうとするのは後進のMAPPAとしては遅過ぎる。だから先行しているスタジオとは違うアプローチをする必要がありました。それで、クオリティの高さを維持しながらたくさん生産し経験を積む、同時にスタジオをブランディングして、いかに最短でトップスタジオがいるレースに参加できるかを考えたんです」

アニメファンとしては、MAPPAは初期の時点からクオリティの高い作品を作り出す“トップスタジオがいるレースに参加している”スタジオだったかもしれない。しかし大塚氏の認識はそうではなかったようだ。

「レースに乗ろうという意識は、2014年に放送された『残響のテロル』や『神撃のバハムート GENESIS』『牙狼〈GARO〉-炎の刻印-』を作っていた頃にはすでにありました。しかし自分たちにはヒット作がない、その作り方がわからないというコンプレックスがあったんです。その後もいろいろ試行錯誤しながら作り続け、初めて実を結んだのが『ユーリ!!! on ICE』が放送され、『この世界の片隅に』が上映された2016年でした。“MAPPAという企業の運命が変わった”と言っても過言ではないくらい、あの2タイトルのヒットはインパクトがあったし、周囲からの見え方も明確に変わったんです。

特に『この世界の片隅に』に関しては、映画で国内外のアニメ賞をいただくといった結果を残すことができました。正直、会社としては早すぎるくらいの大きな成果で、その後、同じような成果を出すプレッシャーがのしかかる感覚もありました」

ヒット作とビジネス規模

MAPPAにとって念願だったヒット作。しかしその後に待ち構えていた現実は、大塚氏の心に新たな思いを生み出した。

「ヒット作を出せたのはよかったけど、単純な制作業務の受託ではスタジオに入るお金が非常に少なかったんです。何を基準に少ないと言っているかというと、作品全体のビジネス規模に対してスタジオの収入が小さい。そこを改善しないと企業として生き残ること、そして、力強く成長するのは無理だろうと感じました。だから2016年以降はよりスタジオにお金が入る制作条件にこだわりながら、アニメを作り続ける環境の維持を目指し、2018年頃からはライツやイベントといったアニメ制作以外の事業も始めました。

それまでは僕も業界内では若いほうだったので『こういうもんです』という風習というか、右にならえみたいな流れに乗ってしまっていたのですが、『しょうがない』を続けていると何も変わらない。スタジオを取り巻くビジネス環境が厳しくなっていく市場動向の中でも、どうやったら、楽しんでもらえるアニメを作れるか……そういったことを実現するために、自分たちがリスクを取ろうという発想が生まれました」

こうした発想が結実した例で象徴的なものは、2022年から放送されたTVアニメ「チェンソーマン」へのMAPPAによる100%出資だろう。アニメスタジオとしては異例の試みだった。

「『チェンソーマン』の原作を読んで非常に惹きつけられ、そのアニメ化に挑戦しようとする中で、うちで最大限やれることは何か考えた末に生まれたのが100%出資というスキームでした。うちには元テレビ局で働いていて、MAPPAに転職してきた木村誠という取締役がいるんですが、彼と僕で企画を作って、集英社さんに提案させていただいたんです。

木村は『残響のテロル』などで付き合いがあったプロデューサーで、今はそういったビジネススキームを考えて僕に提案する役割を担ってくれています。アニメを送り出すプラットフォーム側といい関係を築いて、適切なビジネススキームを考えられる人材がスタジオに欲しいと感じていたときに、タイミングよく木村が仲間になってくれた。そういう方が、社外も含めて協力してくれたおかげで今のMAPPAがあります」

100%出資も製作委員会もあくまでビジネスの形の1つ

「チェンソーマン」への100%出資という大きなチャレンジの手応えを聞いてみると、いろいろな苦労があったようで……。

「まずは100%出資とか関係なく、『チェンソーマン』ほど評判がいい原作のアニメ化は難しかったです。もちろんうまくいったこともあるし、ファンの期待に応えられなかった部分もある。それは素直に受け止めています。

そして100%出資……そもそも僕は製作委員会方式が悪いとは思っていないし、いろんな会社が協力することでアニメの制作は成り立っているという感覚もずっと持っていました。でも『チェンソーマン』を自社だけでやったことにより、いろんな作業や責任を1社で担うのは大変なことなんだとしっかりと体感できた。それを学べたことが大きかったです。

僕らには経験値がないんですよね。アニプレックスさんや東宝さんだと毎クール多くの作品をやっていて、いろんなデータを持っているし、経験値のあるプロデューサーが担当する安心感もすごくあります。でも僕らはそのスタート地点に立ったばかり。アニメのクオリティと同じで、そういったライツ事業部が担う部分でもトップ企業との差をどうやって最短で埋められるか挑戦中です」

初の100%出資によるアニメ化は決して楽なものではなかった。しかし「とんでもスキルで異世界放浪メシ」も100%出資で製作されたように、MAPPAはその経験を大きな糧としており、今後も選択肢の1つとして考えている。

「『チェンソーマン』で100%出資という言葉が先行してしまったんですけど、僕らにとってはあくまでビジネスの1つの形であって。100%出資が正しいとか間違いとかではなく、作品や状況、ビジネス展開などを考えたうえで、今後もいろんな座組で作品作りをしていくと思います。

先ほども言ったように、製作委員会方式が悪いわけではありません。リスクが軽減するし、参加する会社がそれぞれに役割を受け持って得意分野を活かせます。僕らは製作委員会に参加するときも主張するべきことは主張して、それを割と尊重してもらってるので、何かに縛り付けられているような感覚はありません」

現状維持で見える天井を突破するために

さまざまなチャレンジを続けながら、MAPPAは着実に実績を積み上げていった。2010年代後半以降、国内のアニメスタジオでもっとも知名度を上げたのはMAPPAだという意見を否定する人は少ないだろう。

「確かにそうかもしれません。でも、そのしわ寄せもやっぱりあるんです。ちゃんと時間をかけて強固な骨格を作ることができたわけではないので、骨格も作りつつだけど生き残るためにガンガン筋トレもする、みたいな(笑)。その負荷は間違いなくあって、どこかで満足してしまったら骨折するんです。だからこれまでと同じようなスピード感で成長し続けるためにどうするか、というのは常に考えています」

そうした成長のための試みか、近年のMAPPAはブランディングにさらに力を入れている様子が伺える。10周年記念の展覧会「MAPPA SHOWCASE」、キャストやスタッフが出演するリアルイベント「MAPPA STAGE」などの開催、そして2023年2月に放送されたドキュメンタリー番組「100カメ」への協力などなど……。しかしそれぞれにブランディングとは別の意図があったようだ。

「『100カメ』にブランディングという意図はなかったです。そもそも、あの話が来たときは受けるかどうか迷ったんですよ。ああいうふうに内部を見せるのはリスクもありますし、どこまで作品のためになるのか考えました。でも『進撃の巨人 The Final Season』ですごくお世話になっているNHKさんからのお願いだったので『100カメ』は受けました。結果的には、とても優秀なディレクションで、社員が作品に向き合う姿勢をドキュメンタリーとして表現いただき、好評でよかったです。

一方、リアルイベントはブランディングという側面もありますけど、僕らは単にアニメを作っているのではなく、お客さんに向けて作品を作っているんですよね。イベントに来てくれる人と接すると僕らは誰のために作品を作っているか改めて実感しますし、そうした当たり前の意識が高まるので積極的にやっているところもあります」

今や国内有数のアニメスタジオとなったMAPPA。しかしそれを率いる大塚氏の視座はあくまで高い。ブランディングの成功を実感することなどはないのだろうか。

「もちろんMAPPAが知名度を得たと実感することはあります。ただブランディングって際限がないんですよ。例えばアフリカでアニメを観ている人に対してMAPPAはどういうブランディングをできているかというとゼロでしょうし。もしかしたら好きでいてくれる人もいるかもしれませんけど、僕らからアプローチはできていない。人口が増えている東南アジアでも若い人たちがアニメを観ているけど、どういった層がMAPPAのどの作品を楽しんでいるかまではわからない。そういったことをリアリティを持って把握し、会社としてアプローチできて初めて『ブランディングに成功している』と言えるんじゃないでしょうか」

最高品質のアニメクオリティと、ブランディングによってMAPPAはアニメスタジオとして万全な状態に見える。しかし2020年代の展望を聞くと、社長就任時に「生き残る。そして、創り続ける。」と志した大塚氏らしい目標を語ってくれた。

「深夜アニメと映画から始まった会社なので、これからもそういった作品のファンは引き続き大切にしつつ、より一般的でグローバルな作品を生みだせるかという勝負が始まっていると思っています。そういったレベルのオリジナル作品がうちにはないですが、『そこに参入するのはなかなか難しいよね』なんて悠長なことは言ってられません。モノ作りをする会社ならそこに向き合って、しっかり目指していかないといけない状況です。

これまでMAPPAは、丸山や僕の趣味だったり、大人が観て“カッコいい”とか魅力を感じるような作品を突き詰めてきました。ただ『このまま10年やっても、MAPPAの最大値はこの辺だろうな』という天井が見えるときがあって、僕の性分としてそういうものは突破したくなるんです。これからはその突破のために必要な、作品を生み出す力を伸ばすこと、その環境づくりに挑戦していきます」

大塚学(オオツカマナブ)

STUDIO4℃を経て、2011年にMAPPAに入社。2016年に代表取締役に就任。「呪術廻戦」「ゾンビランドサガ」「BANANA FISH」「ユーリ!!! on ICE」「残響のテロル」などのプロデュースを手がける。