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アニメスタジオクロニクル No.6 ボンズ 南雅彦(代表取締役)

アニメ制作会社の社長やスタッフに、自社の歴史やこれまで手がけてきた作品について語ってもらう連載「アニメスタジオクロニクル」。多くの制作会社がひしめく現在のアニメ業界で、各社がどんな意図のもとで誕生し、いかにして独自性を磨いてきたのか。会社を代表する人物に、自身の経験とともに社の歴史を振り返ってもらうことで、各社の個性や強み、特色などに迫る。第5回に登場してもらったのは、ボンズの代表取締役・南雅彦氏。「アニメーションはアクションありき」「オリジナル作品を作らないと会社は死ぬ」……そんなこだわりの言葉が多数飛び出す中、設立25周年を間近に控えながらも、より貪欲にアニメーション制作と向き合う南氏に、ボンズのあり方を聞いた。

取材・文 / はるのおと 撮影 / 武田真和

アニメーションはアクションありき

南氏は1984年にサンライズ(当時の日本サンライズ)に入社し、「機動武闘伝Gガンダム」や「カウボーイビバップ」などのアニメをプロデューサーとして手がけていた。いずれも今でも多くのファンに愛される人気作だ。しかし南氏は1998年に独立し、ボンズを設立する。その背景には何があったのだろうか。

「自分はもともとサンライズで入社から制作畑を歩んで、オリジナル作品を中心にプロデュースしていました。『疾風!アイアンリーガー』や『機動武闘伝Gガンダム』、『天空のエスカフローネ』や『カウボーイビバップ』などですね。サンライズが1994年にバンダイグループに入ったことで、制作プロダクションからアニメーションの総合ビジネス会社になっていきました。自分はスタッフとともに作品を制作していくのが好きな性分だったのと、アニメーションという映像自体がビデオパッケージなどのビジネスが成立する時代になってきていたので、クリエイターが主導して作るアニメーションでも作品を作っていけるんじゃないかと思い、アニメーターの逢坂浩司や川元利浩と一緒に独立した……というのが公式見解です(笑)」

独立にあたっての裏話も軽妙な語り口で披露してくれたがここでは割愛。南氏が代表となったボンズの初期作品は、彼がサンライズ時代に手がけた「天空のエスカフローネ」や「カウボーイビバップ」の劇場版、そしてオリジナルのTVアニメ「機巧奇傳ヒヲウ戦記」だった。

「『ヒヲウ』はサンライズにいた頃からやりたかった企画でした。江戸時代末期、幕末が舞台。日本が大きく変革したこの時代に、機の民と呼ばれ巨大からくりロボットを操る子供たちが、実在した人物や史実と関わっていくお話です。その時期はまだ蒸気機関は日本で普及していないから、動力はカラクリ人形みたいにクジラの髭で作られたぜんまいだなとか考えたり。『炎(ほむら)』神輿から人型に変形するからくりロボットは面白くできたと今でも思っています。でも放送から20年以上経ったけどいまだに『スーパーロボット大戦』に出してくれない。『炎』はレーダーに引っかからない、水に浮く、火に弱い。『こんなに長所と短所あるロボットいないぞ』と思うんだけど(笑)」

小学生で「マジンガーZ」、高校生で「機動戦士ガンダム」の洗礼を浴びて、自ら「ロボットアニメど真ん中世代」と語る南氏。ボンズは、「交響詩篇エウレカセブン」「STAR DRIVER 輝きのタクト」「キャプテン・アース」などロボットアニメを定期的に制作することになる。もう1つ、ボンズのイメージとして多くの人が抱いているであろう、迫力あるアクションシーンについて聞いてみると「それは当然」とでも言わんばかりのコメントが返ってきた。

「そもそも日本のアニメーションってアクションありきだと思います。『鉄腕アトム』、『鉄人28号』や『マジンガーZ』『エイトマン』『ガッチャマン』ほか諸々……基本、みんなアクションものです。アニメは人が演じられない世界を絵が動くことにより表現できるのが魅力だと思います。ロボットを描くこともアクションで魅せることもアニメーションにおいては普通のことですよ」

経営面、そして人材面でも大きな影響があった「鋼の錬金術師」「エウレカセブン」

「スタジオを続ける中で一番の転機となった作品は?」。当連載で恒例の質問だが、南氏はボンズ設立20周年記念イベントでの同様の問いに対し、「鋼の錬金術師」と「交響詩篇エウレカセブン」の2作を挙げていた。今回話を伺う中で、特に「鋼の錬金術師」はボンズを振り返るにあたって絶対に欠かせない作品であることがわかった。

「設立後も『ラーゼフォン』や『スクラップド・プリンセス』『WOLF’S RAIN』と原作のある作品、オリジナル作品と制作は続けてさせてもらっていたのですが、会社の経営としては厳しい状況が続きましたね。もちろん制作費はいただいていましたがそれ以上に制作コストがかかってしまっていて。ただ、そこまで制作していた作品を評価してくれていた人たちがいて、『鋼の錬金術師』の制作を請けることができました。世界中で多くの方に観てもらい大ヒットとなりました。当然、会社もひと息つけました(笑)。

『鋼の錬金術師』はずっと一緒にやってきたアニメーターの伊藤嘉之くんが、単行本で2~3巻しか出ていない時点で原作を勧めてくれて。面白くて一気に読みましたね。それでアニメ化を提案するために企画書を作ろうと連絡したところ逆にスクウェア・エニックスさんに会社に呼ばれて、そこからトントン拍子でアニメ化が決まっていきました。アクションものが得意な制作会社という部分で評価してくれていたみたいですね。もう気付いたらボンズで制作することになっていた、くらいの感覚でした」

「鋼の錬金術師」は、ボンズにとって初めての1年放送作品となった。しかし制作にあたっての気負いはなかったという。

「ボンズとしては初めてだったけど、自分はサンライズ時代『アイアンリーガー』や『Gガンダム』で4クールの経験があるから、特にプレッシャーみたいなものはなかったです。ただ会社としては、当時A、Bの2つのスタジオがあったけどどちらも別作品を制作していたので、『鋼の錬金術師』のスタジオとしてCスタジオを新設しました。そこで伊藤嘉之くんと、彼と一緒に『鋼の錬金術師』を企画した制作の大薮芳広に『ボンズでの制作が決まったから2人で責任取ってね』とそのスタジオを2人を中心に1年やるためのスタッフを組んでもらって。それで無事にやりとげてくれました。

1年ものをやるとなって社内で騒ぎになったのは『エウレカ』のほうですね。当時、ロボットアニメで1年やる作品は珍しくなっていたし、何よりバンダイナムコゲームス(当時)さんと『ゲームとアニメを同時にやりましょう』という話をしていて通常のオリジナルアニメよりも制作規模が大きくなっていました。で、アニメは2クールで準備していたんです。それでアニメの放送枠をどうするかを『鋼の錬金術師』のプロデューサー、毎日放送の竹田靑滋さんに相談したところ『日曜の朝7時でええか? 全国ネットで1年やで』と言われて。いきなり2クール増えて、しかも裏番組が同じバンダイスポンサーの『まじめにふまじめ かいけつゾロリ』(笑)。さすがに無理でしょと思ったんですが、そこはバンダイナムコゲームスの鵜之澤伸さんが調整してくださったんですけど、メインスタッフに『1年放送することになった』と伝えたときはみんな『はあ!?』とドン引きしていました。

単に2クールで準備していたからというだけでなく、4クール作品の制作はもう逃げ場がないんです。オリジナル作品は0からすべてを生みだすので、1クールや2クールの作品はドラマ的にもアニメ制作としてもどうにか作り上げるんですけど、4クールは一度躓くと立て直せなくなります。でもスタッフと前向きに(笑)、『4クールあったらサッカーやる話とかもできるんじゃない?』なんて言いながら、最終的にはどうにかやり切って。1年やると人は強くなるんですよ、特に制作は(笑)。経営面もそうですけど、人を育ててくれたという面でも『鋼の錬金術師』や『エウレカセブン』は大きな作品です」

オリジナル作品を作らないと会社は死ぬ

クリエイター主導のオリジナル作品を志向していたボンズだったが、原作ものの『鋼の錬金術師』によって会社として軌道に乗り始める。しかし南氏は今でもオリジナル作品へのこだわりを隠さない。

「オリジナル作品を作らないと会社は死ぬと思っています。原作作品を作るだけでも、アニメの制作会社としては大きくなっていけるとは思っています。でもボンズという制作会社としては、オリジナルをやらないと、例えばスタッフとともに作品を生み出す想像力や発想力。アニメーションという映像表現を扱い、どのような作品を生み出すか。そういう部分を持っていなければいけないんじゃないでしょうか。

もちろん原作作品を制作するうえでも、原作者の方がその作品で表現しているドラマ、マンガとしての表現を理解し、そのうえでアニメーションとしての表現で作っていくか考えることになります。その経験は原作を理解し、どのようなアニメーションの表現をすべきか、スタッフとのイメージの共有など制作するうえでの大きな力を持てると考えています。逆に原作作品を制作することにより、はっきりとした作品の完成形をイメージできます。オリジナルは完成作品がイメージしづらく、ゼロから考えなければいけないので、経験が浅いととても難しい。だからその両方を制作していくことはボンズの設立時から考えていました」

そうしたポリシーの元、同社は原作ものを作りつつ、個性的なオリジナル作品を世に送り出し続ける。先述の「交響詩篇エウレカセブン」は人気シリーズとなり、その後も「スペース☆ダンディ」「ひそねとまそたん」「キャロル&チューズデイ」などがアニメファンから称賛を浴びた。

「オリジナルは、メインスタッフが描いていて楽しい作品になりますね。例えば『なんで「スペース☆ダンディ」を作ったの?』とスタッフからも聞かれるけど、でも『作ってて面白かったでしょ?』と聞くとみんな『面白かったです!』って言ってくれるし。まあ、『ダンディ』は自分と渡辺(信一郎)監督が作りたくてしょうがなかったのもあるけど(笑)。作るスタッフも観てくれる人たちも面白がってもらえる作品を作りたかったんですね。ちょっと窮屈な時代だったのかも。アニメーターが動かし放題だったし、総作監を立てずにいろんなクリエイターが面白がっていろんな『ダンディ』を表現してくれました。

結局ボンズは、手描きのアニメーションでどれだけ自由に表現できるか、どれだけ広がりがあるものを作れるかを求めていると思います。CGでも実写でもできないことをいかに生み出すことができるか。それがアニメーションであり、オリジナル作品を企画するうえでの考え方のベースになっています。……でも、オリジナル作品は多くの人に受け入れられるのがなかなか難しいですね。日本が一番難しいかな。海外は作品によって国によって人気になる作品が違っていたり面白い観られ方もしていますね。

25周年記念作品「メタリックルージュ」、キーワードは『バディもの』と『多様性』

アニメ業界に関わり始めてから40年弱、ボンズ設立から25年が経っても南氏は気概に溢れている。インタビューの最後に、2024年1月から放送が予定されているボンズ設立25周年記念作品「メタリックルージュ」の話を向けると、その成り立ちと魅力をまくし立てるように語ってくれた。

「『メタリックルージュ』で原作・総監修の出渕裕さんはもちろんデザイナーとしてのトッププレイヤーですし、尊敬する業界の先輩です。サンライズ時代からデザイナーとして大変お世話になっていましたが、ちょっとうるさいというか(笑)、自分が制作している作品に対し演出的な部分での批評をするんです。それで『なら出渕さんが監督やってみてよ』と半分冗談で話していたのですが、いろいろと企画とか作品の話とかをしている中で『ラーゼフォン』を監督してもらうことになりました(笑)。その後も定期的に会ったりメカデザインをやってもらったりしている中で『また何か新しい作品をやりたいね』という話をしていたけど、なかなかその機会がなかったですね。

出渕さんの長期のプロジェクトが動いていましたし、ボンズも制作ラインを作るタイミングが難しかったこともあります。何より出渕さんの思い描く作品を実現するには今までのTVアニメの制作費では充分ではないことがネックでした。でも近年、国内、海外ともに動画配信サイトが製作への参入によって制作費が全体的に上がり、また2D、3Dともにデジタル技術のアニメーションでの表現が広がってきた。あと海外ではSF作品も人気があることもあり、ようやく出渕さんと新しい作品にチャレンジできる状況になりました。

それで、まず作品を作るうえでさまざまなチャレンジが可能なプラットフォームとしての世界観を作り上げるところからスタートしました。『カウボーイビバップ』のときにも『賞金稼ぎもの作品』というところから始まって、それを太陽系を舞台でやろう、じゃあ太陽系はどうやってテラフォーミングされているか……と、言わば世界観の横軸を作っていったのですが、『メタリックルージュ』ではさらに歴史という縦軸も作りました」

TVアニメ「メタリックルージュ」は人造人間の少女ルジュ・レッドスターが、バディのナオミとともに“政府に敵対する9人の人造人間の殺害”という任務に挑むバトルアクションだ。

「出渕さんがこの世界観を舞台に、最初に映像化するうえでのキーワードは『バディもの』と『多様性』でした。『メタリックルージュ』はルジュとナオミの2人の主人公であり、ルジュが人造人間であるということにフォーカスした作品になっています。ただ事前に作り上げた世界観はもっと壮大で、人造人間が生まれた経緯や、過去に起きた太陽系内での大規模な宇宙戦争とか、今回の作品世界の後の話も考えています。1つの世界観の中でいろんなジャンルの作品が作れるようになっています。

『カウボーイビバップ』でも同じように新しい作品を作れるような世界観を作っていましたが25年も経ったのに新しい作品ができていません。『メタリックルージュ』は『©BONES』さえ入れてくれれば世界観を好きに使っていいので、まずは今回の作品を観てもらって、視聴者がこの業界に入り、クリエイター、プロデューサーとしてこの作品の世界を自由に遊んでもらえるものになってくれるとうれしいですね」

南雅彦(ミナミマサヒコ)

1961年8月24日生まれ、三重県出身。株式会社ボンズ代表取締役。1984年に日本サンライズ(現バンダイナムコフィルムワークス)に入社。「疾風!アイアンリーガー」「機動武闘伝Gガンダム」「天空のエスカフローネ」「カウボーイビバップ」といった作品をプロデュースする。1998年にサンライズから独立し、逢坂浩司、川元利浩とともにボンズを設立し、代表取締役に就任した。