藤子不二雄(A)お別れの会、永井豪らが証言する“飲みと遊び、楽しむこと”に全力な姿
今年4月に死去した藤子不二雄(A)を偲ぶ「漫画家 藤子不二雄(A) お別れの会」が、本日10月31日に東京・オークラ東京内オークラプレステージタワー1階の平安の間で執り行われている。
会に先立ち、会場隣の大広間にて永井豪、石坂浩二、中川翔子が取材に応じた。子供の頃から藤子(A)作品を読んでいたという永井は、マンガ家になってから藤子(A)のゴルフ会に入って親交を深めたそう。「僕がゴルフでかなりヘトヘトになって帰ろうとすると、安孫子先生(藤子不二雄(A))が突然車の後ろに乗り込んできて『さあ銀座行くぞ!』と無理やり連れて行かれるんです。しかも先生、銀座に行くと止まらないんですね。次から次へと店をハシゴして、その(通り道を歩く)足のスピードも半端じゃなく早い。日を跨いでも帰ろうとしないから僕が『帰りましょうよ』と言うけど、先生は『まだ飲もうよ』『人生短いんだから、寝ちゃったら損でしょ?』と言うんです」と懐かしむ。また藤子(A)の人柄について「どんな場に行っても盛り上げるのが大好きで、面白い話を披露しては爆笑の渦を起こしてしまう」と述べ、「あんないい先輩はいない」と称えた。
アニメ「笑ゥせぇるすまん」がコンテンツの1つとして放送された番組「ギミア・ぶれいく」に出演していた石坂。「安孫子先生と親しくお話しするようになったのは、もう40年ぐらい前になると思います。なんといっても、あちこちのお店で人気者の先生でした。めちゃくちゃなハシゴをするものですから、私の水割りができないうちに次の店に行こうとしてしまう」と、ここでも藤子(A)のお酒好きなエピソードが語られる。また「ゴルフといえば、プロアマ(プロとアマチュアが一緒にプレーする試合のこと)に我々はよく呼ばれたものでした。そこで安孫子先生が嘆くんです。『あのねえ、石坂くん。さっき女子プロの人にオバQ描いてって言われたんだよ。オバQは僕のほうじゃないんだけど、でも描けちゃうんだよねえ』と(笑)」と言って場を和ませ、ファンのために藤子・F・不二雄の作品までも描いてしまうサービス精神旺盛な人柄こそが多くの人に愛されたと述べた。
幼い頃から藤子(A)作品のファンだったという中川は、「藤子(A)先生の作品に何度も勇気をいただいて、まさかお会いできる人生になるとは夢にも思っていませんでした」としみじみ。藤子(A)との出会いについて「小学校からの友人が銀座のお店で働いていて、そこに藤子(A)先生がよくお店に来るんだよねと聞いていたんです。そんなわけないでしょ!?と思っていたんですけど、本当にいらっしゃっていて。そしてそのお店で飲ませていただくようになり、すごくかわいがっていただきました。カラオケに連れて行っていただいて先生が『怪物くん』の曲を歌ってくださったり、一緒にモーニング娘。の武道館のコンサートに行ったり。先生は飲むこと、遊ぶこと、楽しむことに全力投球されている方。ものすごくカッコいい背中だなといつも感じていました」と回想する。藤子(A)との交流の中で、イラストが得意な中川が藤子(A)作品のキャラクターを描いて誕生日にプレゼントしたこともあったそう。「それを先生がいつも持ち歩いてくださったといろんな方から聞いて、うれしい気持ちでした」と笑顔を浮かべる。お別れの日の今日、藤子(A)にどのような言葉を送るかと記者に聞かれると「先生は人が大好きだったので、晩年はコロナでなかなか大人数で集まれなくなったことが悔しいです。でも、いつも心の中には先生の存在があります。そしてそれは、日本中、世界中の人がそうだと思います。先生にたくさん優しくしていただいて、私の人生は幸せです。ありがとうございました」と、ときおり言葉を詰まらせながら感謝を伝えた。
永井らへの取材が終わり、いよいよお別れの会へ。祭壇は白い花を中心に彩られ、中央には頬杖をつき、ジャケットで渋く決めた藤子(A)の遺影が置かれている。まず黙祷が捧げられ、藤子(A)の88年の歩みを振り返る映像を上映。その後には主催者であり、藤子スタジオの代表取締役社長である松野いづみ氏が挨拶を行う。藤子(A)の姪にあたる松野氏は「4月7日、自宅に行きましたら倒れている叔父がいました。あまりに突然で何が起こったのか現実が理解できませんでした。もしこの出来事が連載マンガのネームでしたら、展開が唐突すぎるとボツにして書き直すところです。しかしご存じの通り、叔父はマンガを描く際にネームをとりませんでした。直接原稿用紙にペンを走らせて、そのままの勢いで最後のページまで描く。それが、藤子不二雄(A)が描く衝撃の作品になっていった。これは、まるで藤子不二雄(A)作品の一編のようだなと思いました。今となっては、病に伏せる叔父を看取るより、藤子不二雄(A)らしい、安孫子素雄らしい最期だったと思うしかありません」と悼み、藤子(A)が生涯歩んだ“まんが道”について「とても豊かで、素敵な道でした。その道を歩ませていただきました皆様に、そして藤子不二雄(A)を、安孫子素雄を愛してくださった皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました」と言葉を贈った。
続いて、小学館の取締役会長・相賀昌宏氏、講談社の代表取締役社長・野間省伸氏、集英社の取締役会長・堀内丸恵氏も弔辞を読み上げる。小学館の相賀氏は藤子(A)が藤子不二雄(A)として独立したときのパーティでも挨拶を務め、よく酒の席もともにした間柄。飲みの場では賑やかな話題で盛り上がりつつも、相賀氏は藤子(A)から「ワシの弔辞は頼むよ」と言われたことがあったという。「どうせ先生の方が長生きすると思っていた私は、つい『はい。はい』とか言ってしまったことを今は後悔しています。たぶん確認をしたら、『ワシ、そんなこと言ったかな』とおっしゃったかもしれません。でもいろいろな人に聞くと、皆先生と話をしたときに、まじめな話をされたとか、弔辞を頼まれたとか聞くので、けっこうそういう面を見せていたのだなという気もします。先生は、描かれている作品にも表れていると思いますが、虚偽と真実、虚実の間の皮膜を行ったり来たりするところがおありになったと思います。心根が優しく真面目で、時として真実は人の心を傷つけてしまうことを人一倍気にする方で、それを覆い隠すような言動をしながら生きてこられたような気がします」と、長きにわたり近くで見てきた藤子(A)の人柄を伝える。また「安孫子先生、いろいろと歌を歌われていましたが、ちゃんと静かに聴いていなかったことを謝ります。ただ、井上陽水さんの『少年時代』と高田恭子さんの『みんな夢の中』を歌っているときの先生の、寂しそうな顔、少しかすれた声、虚無的な雰囲気は、心が垣間見えるようで忘れられません。死者は生者の中に生きると言いますが、作家は作品を通じて読者の心の中に生き続けます。安孫子先生、多くの人の心の中で生き続けてください。安孫子先生、ありがとうございました」と別れの言葉を捧げた。
講談社の野間氏にとって藤子(A)は、国民的マンガの大作家というより「楽しいお爺ちゃん」「歳の離れた愉快な飲み友達」だったという。「『仕事は小学館、遊びは講談社』。安孫子さんはパーティでの挨拶の際、こんなフレーズを悪びれもせず好んで披露しました。講談社にとっては多少、微妙な響きを持つ言葉ではありますが、私はこの言葉を聞くととてもうれしかったです。安孫子さんには私たち講談社と、ゴルフ、お酒、そして少々のお仕事を全身全霊でご一緒いただけました。そのことを大きな声で披露してくださる。『遊びは講談社』だなんて、最高の褒め言葉です。出会ってからこの20数年間、安孫子さんには本当にお世話になりました。心より感謝申し上げます」と、遊びに遊び尽くした藤子(A)との在りし日を偲ぶ。
集英社の堀江氏は「私が初めて先生とお話しさせていただいたのは、30数年前、私がマンガ雑誌の編集長をしていたときのことでした。編集部で、ゴルフの名勝負をオールカラーマンガで連載しようという企画が持ち上がり、それをぜひ藤子不二雄(A)先生に描いていただけないかというものでした。ただ、それまで弊社は先生とお仕事のご縁がなく、ご無理を承知で、編集部員とともに新宿の仕事場にお願いに伺いました。先生は初対面の私どもの話をじっくり聞いてくださり、その場で連載を快諾してくださいました」と回想。その後も藤子(A)と集英社の関係は続き、多くの若い編集者たちが学びを得たと感謝する。そして「マンガ界のためにも労を惜しまず、まさに今日のマンガ界の発展の礎を築いてこられたのが先生でした。藤子不二雄(A)先生、本当にありがとうございました」と謝辞を贈る。献花の際には、藤子(A)が原作・企画・製作を務めた映画の主題歌で、藤子(A)もよくカラオケで歌っていたという「少年時代」が流れる中、参列者たちは祭壇にゆっくりと花を捧げた。
閉会後、「笑ゥせぇるすまん」の実写ドラマで喪黒福造を演じた伊東四朗が記者陣の前に。「『笑ゥせぇるすまん』の実写版を撮りたいから、その喪黒役をやってくれないかとテレビ局の人に言われて、最初は断ったんです。冗談だと思い、また冗談じゃなくても、とても自分にできるような役ではないと思いました。そしたら先生に会いたいと言われて、会ったら開口一番に『喪黒はアンタしかいないんだ』と。その言葉で私の気持ちも傾いて、『魔の巣』のマスター役も藤村俊二さんだっていうからいっぺんにやる気が出たんです」と話す。「喪黒の動き、それにしゃべり。あんなに苦労したものはなかったですね」とのことだが、出来上がったドラマに対し藤子(A)はニヤッと笑い「よくやったね」と言ってくれたそう。藤子(A)と“怖い顔で競っていた”とも言う伊東は、この藤子(A)からの反応に「それだけでうれしかったです」と柔らかく笑った。
(c)藤子不二雄(A)/小学館