海外のマンガ賞まるわかり

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ヨーロッパ最大級のマンガ・アニメのイベント・第49回アングレーム国際漫画祭が、フランスで今春開催される。”マンガ界のカンヌ”とも言われるアングレーム国際漫画祭は、バンドデシネのみならず日本の翻訳作品も数多くノミネートされており、2015年には大友克洋が日本人として初めてグランプリを受賞。日本のマンガ界とも関わりが深い祭典で、第49回では藤本タツキ作品の展示会も予定されている。なお当初は1月27日から30日に開催される予定だったものの、コロナ禍のため春に延期となった。

また、2021年に伊藤潤二が2部門受賞したことで話題になったアイズナー賞は、例年通りであれば夏に開催されるサンディエゴ・コミコンで発表に。“マンガ界のアカデミー賞”と呼ばれるアイズナー賞も、多くの日本人マンガ家が賞を獲得している。どちらの賞もその成り立ちや特徴を知れば、好きな作品・作家が受賞した際により喜べるはず。「海外とマンガ」をテーマにさまざまな分野で活動する椎名ゆかり氏に、アイズナー賞とアングレーム国際漫画祭賞について解説してもらった。

文 / 椎名ゆかり

はじめに

近年、日本人マンガ家が海外マンガ賞を受賞したというニュースに触れる機会が増えました。「海外のマンガ賞ってなんとなく凄いことはわかるけど、実際のところどういう賞なの?」という皆さまに、今回は世界のマンガ賞について書いてみたいと思います。

とは言え、日本国内のマンガ賞についても、あらためて考えたことは少ないはず。そこで、海外のマンガ賞について説明する前に、まず日本のマンガ賞について簡単に整理してみましょう。

日本のマンガ賞

日本では昔から、たくさんのマンガ賞が存在してきました。“マンガの賞”と言うと、いわゆる“新人賞”を思い浮かべる人も多いかもしれません。例えば新人賞に該当する賞と言えば、少年ジャンプ(集英社)主催の手塚賞や赤塚賞、月刊アフタヌーン(講談社)のアフタヌーン四季賞などの大手出版社の賞もあれば、Web媒体のLINEマンガによるインディーズ月例賞など多数あり、新人がデビューする登竜門として機能しています。応募資格には「プロアマ問わず」を掲げているところも多く、受賞者は必ずしも新人とは限りませんが、基本的には主催者が新たな才能に出会うための賞と言えそうです。

新人賞とは別に、その年の人気作品または優秀作品を決定する賞もあります。小学館漫画賞、講談社漫画賞や朝日新聞社が主催する手塚治虫文化賞などがそれに該当します。評論家、編集者、マンガ読者らの投票による「このマンガがすごい!」というムック本も、賞とは名乗っていないものの、その年の人気上位作品を選ぶという意味で賞に近いかもしれません。ほかにも、マンガ家さんの職能団体・日本漫画家協会による日本漫画家協会賞、書店員さんらが選ぶマンガ大賞もそのような賞のひとつです。

さらに、地方自治体や国が主催するマンガ賞もあります。にいがたマンガ大賞、まんが王国とっとり国際マンガコンテスト、北九州国際漫画大賞など、その多くが応募された中から優秀作品を選ぶ賞であり、その数は増え続けています。国が主催する賞では外務省の日本国際漫画賞や文化庁のメディア芸術祭マンガ部門があり、今のような形でのマンガ賞を国が始めたのはここ20数年ほどのことです。ただ、国がマンガ家個人を顕彰し始めたのはさらに以前のこととなります。1969年(昭和44年)にマンガ家として宮尾しげを先生(「団子串助漫遊記」ほか)と田河水泡先生(「のらくろ」シリーズほか)が紫綬褒章を受けたのを皮切りに、国からマンガ家への叙勲や紫綬褒章授賞は現在に至るまで続き、近年ではちばてつや先生、萩尾望都先生、そして大島弓子先生が文化功労者に選ばれています。

こうしてあらためて見てみると、日本にはたくさんの種類のマンガ賞が存在し、実は海外にも数多くのマンガ賞が存在しているのです。今回はその中でも、その年の優秀作品を決める賞として日本でもしばしば話題にあがり、現在世界で最も権威があるとされるアメリカのアイズナー賞とフランスのアングレーム国際漫画祭賞について、その成り立ちから簡単に解説しようと思います。

米・アイズナー賞

“マンガ界のアカデミー賞”

“マンガ界のアカデミー賞”とも呼ばれるアイズナー賞は、アメリカの手塚治虫とも言えるマンガ家ウィル・アイズナーの名前を冠し、正式名称を「ウィル・アイズナー・コミック・インダストリー・アワード」と言います。賞の名前に「インダストリー(=業界)」と入っていることからもわかる通り、マンガ業界の賞という意味合いが強い賞です。

この賞は現在「コミコン・インターナショナル・サンディエゴ」、通称「サンディエゴ・コミコン」というカリフォルニア州サンディエゴで毎年行われるマンガの巨大イベントの一部として運営されています。

アイズナー賞の創設は、1985年に創設されたジャック・カービー賞まで遡ります。当時マンガファン向けの雑誌を出版していた出版社がカービー賞の主なスポンサーとなっていましたが、1988年、同賞の所有権を巡って運営事務局内が対立して分裂し、それぞれの陣営がアイズナー賞とハーベイ賞を立ち上げました。アイズナー賞はそのとき「サンディエゴ・コミコン」に運営が引き継がれます。

アイズナー賞の特徴は、第一にその細分化されたカテゴリーの多さです。最優秀新シリーズ賞などのほかに、最優秀カラーリング賞、最優秀レタリング賞といった分業のそれぞれの職種に対する賞から、“コミックブック”など小冊子状(32ページから64ページ程度)の出版形態を持つアメリカのマンガ業界ならではの最優秀ワンショット(1号読切)賞まで、その30を超えたカテゴリーはアメリカのマンガ業界の業態や出版形態の一端を表しています。

2つ目の特徴は、その投票システムです。マンガ家、批評家、図書館司書、マンガ専門店の経営者等々から成る審査委員会がノミネーション作品を選び、その中から一定の基準を満たした業界人による投票によって受賞作が決まります。ただ、このとき投票者として登録できるのはマンガ家、編集者など、創作に直接携わる人々だけでなく、翻訳者、マンガ専門店経営者、研究者といった広い範囲の職種が認められているのです。まさにマンガ業界を形成する包括的な業界人による業界のための賞であることは、賞のカテゴリーだけではなく、この投票システムにも現れていると言えるでしょう。

アイズナー賞に関する近年のニュース

4部門同時受賞したタケダ・サナ、“Master of Horror”伊藤潤二

近頃は毎年のように日本人がなんらかのアイズナー賞を受賞していますが、近年印象深かった日本人受賞者を2人挙げたいと思います。1人目は、タケダサナ先生です。タケダ先生は、最近増加傾向にある直接アメリカの出版社から依頼を受けて作品に携わる日本人マンガ家の先駆者のおひとりです。「モンストレス」という人気作の絵を担当して、2018年には同作で4部門同時受賞という日本人マンガ家初の快挙を成し遂げました。

そしてもう1人は、伊藤潤二先生です。伊藤先生は、2019年に「フランケンシュタイン」で最優秀コミカライズ作品賞を、2021年には「地獄星レミナ」で最優秀アジア作品賞、さらに「地獄星レミナ」と「伊藤潤二短編集 BEST OF BEST」両作で、最優秀脚本・作画賞(ひとつの作品で絵と原作の両方を担当するマンガ家に贈られる賞)に選出され、合計3つのアイズナー賞受賞の栄冠に輝きました。

実はここ数年、アメリカでは密かに(?)伊藤潤二ブームが来ていました。以前からの人気が“さらに拡大した”と言ったほうが正しいかもしれません。伊藤先生の作品が最初にアメリカのマンガ読者の注目を浴びたのは2000年代初頭、マンガ雑誌PULPに「うずまき」が掲載されたときです。1990年代後半に創刊されたこの雑誌は、アメリカにおける日本マンガのマニアに支持されたものの、売上が伸び悩み廃刊になりましたが、伊藤作品のファンを生み出しました。折しも、アメリカではJホラー映画のブームが起き、映画の原作でもあった「富江」「うずまき」はマンガ好きを超えて読者を獲得し、カルト的人気となったのです。そうやって一定の根強いファンと評価を得た伊藤作品の人気が近年になって“再燃”しているのは、アメリカの配信サービスCrunchyrollも出資して製作された、伊藤先生のマンガを原作とするアニメ「伊藤潤二『コレクション』」(2018年)の放送・配信も大きな要因のひとつと思われます。それによって伊藤作品の認知が一層広まったからです。その放送・配信開始の少し前から現地では「Junji Ito Story Collection」という短編集のシリーズ出版が開始されていました。

さらに言うと、上記の選集の1冊として短編集「フランケンシュタイン」が2019年にアメリカで出版されたことも、知名度向上と人気の盛り上がりに拍車をかけたかもしれません。日本のカルト的人気マンガ家による世界的に有名な古典「フランケンシュタイン」のコミカライズ、ということで興味を惹かれた人も多かったと聞きます。「フランケンシュタイン」は売上がよかっただけでなく作品としても高い評価を受け、伊藤先生は「Master of Horror」、ホラーマンガの達人の地位を不動のものとして、翌々年アイズナー賞の主要な賞である最優秀脚本・作画賞を受賞しました。ちなみに、アニメ「UZUMAKI」が現在アメリカのケーブルTVカトゥーンネットワークと米国法人Production I.G.,LLCの共同プロデュースで2022年の秋を目指して制作中ということで、伊藤作品の人気はまだまだ収束しそうにありません。

仏・アングレーム国際漫画祭の各賞

“マンガ界のカンヌ”

サンディエゴ・コミコンが運営するアイズナー賞が「マンガ界のアカデミー賞」なら、アングレーム国際漫画祭の運営するアングレーム国際漫画祭賞は「マンガ界のカンヌ」です。そして、サンディエゴ・コミコンもアングレーム国際漫画祭もともに、熱心なファンの活動がその創立に深く関わっていました。

ただし、そのファンたちの指向性は、サンディエゴとアングレームの両者ではかなり異なっていたのです。主催者たち自身が熱心なファンであったサンディエゴ・コミコンはファンと業界人たちの交流を目指して立ち上げられ、そのイベント自体がマンガ業界のほうを向いていました。一方で、アングレーム国際漫画祭に関わっていたのは、研究成果を発表する展示を行うなど、研究・批評的志向が強いファンたちでした。

マンガ愛好家でアングレーム市の評議員も務めた人物の提案から端を発し、批評活動を行っていたファンも協力して、1974年にアングレーム市主催で「アングレーム国際マンガサロン」が開催されます。その後は、市から独立して現在の「アングレーム国際漫画祭」と名称を変えてマンガ祭が続いていきますが、現在もアングレーム市から公的援助を受けているため、このイベント自体が市による文化的な公的行事である側面も強く持っているのです。

つまりアイズナー賞を擁するサンディエゴ・コミコンとアングレーム国際漫画祭賞を擁するアングレーム国際漫画祭のあり方そのものが、それぞれの賞の性格の違いを表していると見ることもできます。両イベントはともにマンガ文化の社会的認知と文化的地位向上を目指すという点で同じではあるものの、アイズナー賞がマンガ業界という商業的な場を盛り上げることを目標としているのに対し、アングレーム国際漫画祭の各賞はマンガの芸術性を重要視し、マンガ文化そのものにより焦点を合わせているのです。マンガのイベントながら、サンディエゴ・コミコンが映画やゲームなど大衆文化全般へとその対象領域を広げていき、イベント内のマンガの存在感が薄れてきたとも言われる昨今、その2つのイベント自体の違いは近年、より顕著になっていきていると言えるかもしれません。

そのせいか、アイズナー賞のほうが売上のいい作品や人気作品、つまり商業的作品の受賞が目立ち、アングレーム国際漫画祭の各賞は批評的に評価の高い作品や実験的作品が選ばれがちである、とする見解を以前は聞くこともありましたが、それが正当な評価かどうかは意見の分かれるところです。

アングレームの審査方法は現在、審査委員会の選ぶ賞と、投票によって選ばれる賞があり、アングレームにおける最高の賞である「グランプリ」は投票によって決まります。アイズナーが幅広い職種の業界人を投票者として受け入れているのに対し、アングレームでは1冊でもフランスで商業出版したことのあるマンガ家限定になっているところも2つの賞の性格の違いを表していると言えそうです。

アングレーム国際漫画祭の各賞に関する近年のニュース

フランスでも評価が高い谷口ジロー、“幻の作家”だったつげ義春

アングレーム国際漫画祭賞はアイズナー賞ほど部門数が多くないせいか、比較すると日本人受賞者の数は少なくなっていますが、アングレーム賞での受賞者で印象深い日本のマンガ家と言えば、1人目は谷口ジロー先生です。2000年代初頭に複数の賞を受賞しています。谷口ジロー先生が海外で評価の高いマンガ家であることは国内でもよく知られていますが、アメリカのアイズナー賞ではノミネートされながら受賞を逸しているのに対し、ヨーロッパでは複数の国でマンガ賞を受賞し、特にフランスでは国から芸術文化勲章シュヴァリエを贈られるなど、その評価は高いようです。

もう1人の印象深い日本人受賞者は、2020年、特別栄誉賞に輝いたつげ義春先生です。「特別栄誉賞」という大きな賞を受賞したと言っても、つげ先生の作品が欧米で長年に渡り数多く翻訳されてきたというわけではありません。フランスでは2000年代初頭に「無能の人」が1冊出て、アングレームで最優秀アルバム賞にノミネートされましたが受賞には至りませんでした。アメリカでは1980年代、1990年代、2000年代と、それぞれ雑誌に1作ずつ短編が掲載されているものの、単行本が続けて出るようになったのはようやく2020年に入ってからです。

ただ、実際には欧米でのつげ先生の評価はその遥か前にすでに定まっていました。アメリカで1980年代と1990年代につげ作品が掲載されていたのは、アメリカで最も尊敬されているマンガ家の一人、アート・スピーゲルマンが出していたRAWという雑誌です。この雑誌は実験的な作品やヨーロッパのマンガ家の作品を数多く掲載し、後にその雑誌に掲載された多くの作家が国際的に高い評価を得たことでも知られています。当時、この雑誌に掲載されることはスピーゲルマンに認められた証でもあったのです。2000年代になってつげ先生の短編「ねじ式」がアメリカでマンガ批評誌に掲載されたときは、まだ現地でつげ先生の本が1冊も出版されていませんでしたが、「世界のマンガ界における巨匠のひとり」と紹介されました。そして、2010年代後半になって、フランスをはじめヨーロッパ各国で、そしてアメリカでも堰を切ったようにつげ作品が何冊も翻訳出版されます。

マンガを世界的な視野で見ると、日本と比べてアメリカとヨーロッパの間の情報流通は長きに渡り盛んに行われてきました。アート・スピーゲルマンの名前はヨーロッパのマンガ通にはよく知られ、しかも先に挙げたRAWがヨーロッパのマンガ家を多数取り上げていたこともあって、すでに1980年代からつげ先生の名前はヨーロッパ、特にマンガが盛んなフランスの批評家らには知られていたのです。

世界の中のアメリカとヨーロッパというマンガ市場において、つげ先生は1980年代から批評的に高く評価された作家でありながら、長い間読みたくてもほとんど読めない「幻の作家」でした。そしてようやく2010年代後半から続いて出た翻訳出版を契機に、満を持してアングレームで大きな賞を授与された、というわけだったのです。

日本人マンガ家が海外の賞を受賞したとき、その評価は一見日本と同じように見えて、必ずしも評価された経緯や内容が日本と同じとは限りません。海外には海外の評価軸があり、異なる文化的文脈がある。でもだからこそ、海外のマンガ賞について知ることは面白い、と思うのです。